天野街道






岩室・今熊で西高野街道から分かれる
左が西高野街道、右が天野街道

天野街道に入り陶器山へ
陶器山



河内と和泉の国境の尾根道に街道が通っている
途中の地蔵


石の道案内
大野西の角に建つ道標


穴地蔵(大野地区)
穴の病気に霊験があり、また子宝にも恵まれるとのこと


「右あまの道、左よつたき道」
地蔵堂の元の柱も道標を兼ねていた
高野山を示す道標(小山田地区)


「右あまの 左かうや道」、「右さかい道」(文政四年)
小山田地区

下里の集落を過ぎると金剛寺に至る
天野山金剛寺山門
金剛寺に入る前に建つ道標
「右葛井寺道是ヨリ四里」、「左槇尾山道是ヨリ七十二丁」(安政四年)

僧行基が聖武天皇の勅命によって開き、のち弘法大師密教修練の霊域となる。そののち、四百年ほどの間に、寺は衰微してしまったが、平安末期、後白河法皇と皇妹八條女院の帰依を受け、阿観僧正が復興し、明治の初めまで女人禁制であった高野山に対し、女人の参拝を許したので、女人高野と呼ばれるようになった。



楼門(鎌倉時代 重要文化財)

金堂
多宝塔(重要文化財)


北朝行在所
門を出てバス停前付近に建つ道標「左ふち井てら道」、「右まき尾山道」(安政四年)