千早街道2(千早峠〜五条)   

 
 
 千早街道 
 
 森屋(千早赤阪村)〜五条 17.9Km


  千早街道(明治36年「大阪府誌」から)
「南河内郡赤阪村大字森屋に於ける富田林街道より起り、同郡千早村大字千早峠國界より奈良縣宇智郡五條町に通ずるものなり。延長四里十二町六間、地勢は金剛葛城山脈を横断せるを以って急峻、且、狭隘なりとす。」


 千早街道(明治26年「奈良縣告示第30號」から)
「宇智郡宇智村大字岡ニテ荒阪街道ヨリ分岐シ同郡牧野村大字上之ニ至リ河内國界ニ達ス」


古くから河内南部と大和五条とを結ぶ街道で富田林街道と並び物資や人の交流が盛んであった。

森屋から千早川に沿って遡り千早峠を越え五条へ下っていくコース 
 
(GoogleMap)   


 
森屋(千早赤阪村) 
森屋の千早(東条)川の菊水橋 の手前で左折していく富田林街道の旧道から分かれる。千早街道は川沿いに直進。
甲取橋を渡る

 
(「千早赤阪楠公史跡保存会」の案内板と日宇金の地図)

 楠公生誕地の碑

楠木正成は永仁2年(1294年)、この地に誕生したと伝えられている。

同場所には「道の駅ちはやあかさか」があり大阪府下で一番最初にできた道の駅。また、小さいので「日本一かわいい道の駅」の別名あり
 出合橋から見た千早川上流
 国史跡 赤阪城跡(下赤坂城跡) 

 教育委員会の案内板
下赤坂の棚田 (赤坂城跡から)
1999年に日本の棚田100選に選定された
 千早川沿いに上っていく
   

 
   
 東阪(あずまざか)  
  

 
 上東阪 
   
 

 小深(国道310号線)へ抜ける新千早トンネル(府道」214号)への三叉路を過ぎるとまもなく旧道は右へ分かれる。
旧道はこの先、旧府道214号(河内長野千早城跡線)を分けて千早川の左岸を遡り、千早集落の中を進む。
 
 

旧214号(正面)はこの先、「千早洞」老朽化のため前面通行止め
  府道214号の旧道(府道705号の千早と国道310号線の小深を結ぶ府道214号は昭和47年に新千早トンネルができている)との分かれ道にある自然石の道標
         
 
 
 
千早 
千早公民館 
   
公民館の前庭にある「天然凍豆腐の碑」

 「ここ千早地区では、大正昭和の初頃を中心に凍豆腐作りが盛んに行われていた。(中略)千早地区では、多いときには50以上あった工場も徐々に減っていき、昭和40年代にはすべての工場が閉鎖され、凍豆腐製造の歴史に幕を下ろした。」(説明板から)
凍豆腐の碑の横にある道標

「右 大坂ふし(?)、左 堺三日市、天保十五甲辰年」とあるが・・・
(どこかから持ってこられたものでしょうか)
  
     
 
辻堂

この辻から左が金剛登山道の千早本道 

この地蔵堂の回りには金剛登山口を示す道標や本道の町石仏である十三佛の基石の不動明王のほか六字名号板碑がならんでいる。

向って左 「金剛山道」
向って右 「右五条、左金剛山 道」

 「左千早城址金剛山登り口」    町石仏の基石
「不動明王」
 六字名号板碑



 千早城址

辻堂の辻を左に金剛山千早本道を進み新道(バス道)に出たところに千早城址の上り口があり、急な「5百数十段」の石段の頂上が城址

「史跡 千早城址 
所在地 大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早
所有者 千早神社他
管理者 千早赤阪村長

元弘二年(1332年)楠木正成が構築し、翌年五月まで百日間、藁人形等の奇策をもって鎌倉幕府軍の攻撃に堪えて建武中興の原動力となった難攻不落の名城である。
標高約六六〇米で、城の南(妙見谷)、北(風呂(ふろん)谷)、西(大手口=現在地)の三方は急斜面で、府道との比高は一五〇米、東方だけが尾根伝いに金剛山に通じる天然の要害である。
五百数十段の石段を登ると四の丸があり、それより本丸までの奥行きが約三〇〇米、その比高は約三〇米である。
太平記に、敵は百万騎、身方は僅かに千人足らずにて「誰ヲ憑ミ何ヲ待共ナキニ城中ニコラヘテ防ギ戦イケル楠木が心の程コソ不敵ナレ」とある。
  昭和九年三月一三日史跡指定
 文化庁 大阪府教育委員会 千早赤阪村教育委員会」
 


 
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   辻堂へ戻りさらに川沿いに上っていく と潟Wェイフーズの工場などがある。
そこを過ぎ建物がほとんどなくなった辺りで右手の谷にある赤滝を示す道標
 右へ行くと赤滝

「右 赤瀧山道、左 五条道」 
赤滝 
千早川マス釣り場 
 
 
 マス釣り場を過ぎしばらく行くと金剛山ロープウェイ前のバス停に至るが、その手前で右から池ノ川谷が合流してくる。合流地点にある金剛登山者用の駐車場の奥が千早峠に至る池ノ川谷林道
一般車は通行止め         
 
 
 
                 
 「マムシ草」によく出会う湿った道が続く
いかにも毒がありそうな
茎の模様がマムシに似ているのでこの名がついたらしい
  峠の直前で左ななめ後ろへ

前だけを見て歩いていると曲がり角を見過ごしてしまいそう
(一度通り過ぎてしまった) 
 
千早峠


 
千早峠は標高784m

ダイヤモンドトレイル(金剛葛城山系の稜線を縦走する長距離自然歩道。奈良県香芝市の屯鶴峯から大阪府和泉市の槙尾山までのコースで、全長約45km)との交差点(前方左の木組みの階段が金剛山から来たダイトレ道)
 
 「千早峠と天誅組」(峠の説明版から引用)

「千早峠は、奈良県五条と大阪府南河内地方を結ぶ最短コースとして昔より交通軍事上の要地となっていました。歴史上においても、江戸時代の末、天誅組が観心寺よりこの峠を越えて五条代官所へ討ち入った事は有名です。
 文久3年(1863)8月13日、孝明天皇の大和行幸が発せられました。
 天誅組は、この行幸を機に幕府を倒して天皇親政を実現させようと考え、その先鋒として8月17日に大和五条の代官を襲撃し、桜井市に本陣を置き五条を天皇直轄地とする旨を宣言し、いわゆる五条御政府を立てました。
 しかし、その翌日、薩摩・会津藩連合による「八月十八日の政変」が起き、大和行幸は中止、天誅組の後ろ盾となっていた長州藩は尊皇攘夷派の七卿とともに京を落ちのびました。
 討幕の先駆的役割を果たした天誅組は、わずか一日で挙兵の大義名分を失い「暴徒」として追討を受ける身となり、苦戦の末、9月中頃南大和の地で壊滅しました。  河内長野市観光協会」


 
 千早峠から五条へ

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