中国街道TOPへ




中国街道2へ  中国街道3へ
中国街道 1 高麗橋から加島へ
起点の高麗橋
現在東詰東北角にに大阪府里程元標跡がある
難波橋
旧難波橋はこの一つ西(下)に架かっていた
   
太融寺(阪市北区太融寺町3−7)
弘仁12年(821年)弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、創建された。昭和20年(1945年)6月戦災で堂塔伽藍一切が灰燼に帰したが、戦後復興。
太融寺ホームページ



綱敷天神社
綱敷天神社ホームページ
茶屋町の名の由来となった「鶴の茶屋」跡
阪急の高架下、かっぱ横丁を横切る。



済生会中津病院前を過ぎ再度阪急線を越え、左折するとJR梅田貨物線に突き当たるところに地蔵堂がある。
JR貨物線をくぐり道なりに進むと淀川に突き当たり歩道橋で淀川堤に出る。
十三大橋の南詰めに建つ常夜燈型の道標
「南 十三橋南詰町 親友會 右長柄二十町 左傳法壱里」
「東 往来安全 (指さし)池田四里 伊丹二里半 (指さし)高麗橋一里」
「西 大正九季庚申三月建之 発起人・・・」
「北・・・・・・・・・・・」


淀川堤を西から来た「山田街道」がここで合流し十三橋を渡る



十三大橋北詰にある「十三渡し跡」の碑
(大阪市教育委員会)
明治11年に木橋が架かるまで渡しがあった
十三大橋を渡ると街道はしばらくホテル街に消えている
十三公園から北へ向かい淀川郵便局を右折
十三元今里付近
街道は十三筋に沿ってつかず離れず進む

長楽寺をしめす道標(田川北)
三津屋中2丁目付近
美津島中学校の向かいの雪屋食堂の隅に立つ「石敢當」(関西では珍しい)
加島2丁目
阪神高速池田線を越えたところにある香具波志神社
「天徳3年(959年)創建の古い歴史を持つ神社です。中世から江戸時代は稲荷信仰の中心地で「加島稲荷」と呼ばれました。祭礼の神輿に西国大名が道を譲ったほど威勢があったそうです。加島には元文3年(1738年)銭座が置かれ、品質のよい銅銭が造られました。」(淀川区ホームページから引用)
 

境内にある力石
正儀駒つなぎ楠
楠木正儀(正成の三男)が南北朝のころ、愛馬をつないだという大楠
昭和45年に枯れた樹齢800年の楠(当時大阪市一)の切り株に祀られた祠

加島4丁目

富光寺
やがて神崎川に突き当たる
かつては神崎の渡しがあったが、大正13年に神崎橋が架けられた


神崎橋 神崎川上流方面
左から藻川が合流する
合流地点に架かる橋は山陽新幹線
尼崎市へ


TOP