枝切街道

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枝切街道は茨木市大手町で高槻街道・茨木街道から分かれ摂津市鳥飼下の淀川堤の高槻街道支線に合流する

また、さらに淀川を鳥飼の渡しで渡ると小阪街道の起点となり、小阪街道を南下すると八尾に到る

枝切街道と小阪街道を併せると概ね現在の大阪府道15号八尾茨木線に当たる

かつて茨木城があった時代(元和3(1617)年廃城)には城下の「大坂口」から枝切街道を通り大坂へ通じていた



大阪府誌(明治36年)から

種   類 一等補助里道 
名   称 枝切街道 
起點地名 三島郡茨木町大字茨木假定縣道高槻街道
経過地名 三島郡茨木町、玉櫛村、宮島村、鳥飼村
終點地名 三島郡鳥飼村大字鳥飼下高槻街道支線
里   稱 二里三三町



枝切街道の起点. 茨木市大手町

手前の広い東西の道が高槻街道・茨木街道でここから南に向う

茨木城の大手(正面)にあたることから現在の町名も「大手町」
城下町に多いL字やT字路をを右に左に曲がっていく
兵枡(ひょうます)
茨木高校東門の前は道幅が広がった桝形になっており茨木城下の防御施設としての役割を果たした

「柳谷」(楊谷寺)の常夜燈(文久2年)と
その横に「兵枡地蔵」
また、茨木高校の門の横には「茨木童子貌見橋」の説明板(茨木市教育委員会)がある
阪急京都線の下を越える

このあたりは茨木城下の「大坂口」があったところ


主原



茨木神社御旅所




水尾
 西河山 勝光寺(浄土真宗本願寺派)

 天平9(737)年行基の開創による「西方浄土寺」(七堂伽藍を備えた広大な寺域があった)の奥ノ院であったもの

 西方浄土寺は1392年高野山との本家争いに敗れ衰微、その後応仁の乱で大半を焼失、さらに織田信長の火攻めにあい廃寺
 元水尾池の南西隅の街道沿いに立つ
 石灯籠型の道標

 「妙見山献燈 右 みしま江、すぐ妙見道」
 「一年始有 百歳人無」

 「明治九年第七月建之」
水尾3丁目付近
伯光神社
 楠の大樹に宿った伯光大明神を祀った祠で旱魃の際には藁で作った竜(約9メートル)をこの楠に這わせ雨乞いをしたとのこと(神社由緒書)

 またこの地は「水尾城跡」とされている



沢良宜墓地の道標

「右 妙けん いばらき 道」
「右 さわらき濱むら、 左 大峯山 しま 道」
「明治七年  」


枝切り街道は左へ、直進は沢良宜東、沢良宜濱への道

真砂(マサゴ・地元ではマナゴという)
街道と真砂との辻
ここを東へ行けば真砂、西へは沢良宜東
真砂の集落
西方寺

浄土真宗本願寺派

昭和20年6月26日の空襲で寺全て崩壊したが昭和23年に再建



沢良宜東

(神社名等不明です)
沢良宜東
玉櫛公民館前のSL公園

D51158号蒸気機関車

「ここに置かれていますD51158号はD51形の中では第2次形に属し、いわゆる「標準形」で給水温め器を煙突の前へ出し、ちょうど枕をのせたようなスタイルです。この機関車は昭和14年3月に製造され、青森機関区に配置されてから36年ものながい間働き、昭和49年11月浜田機関区を最後に引退しました。」(公園説明板から)




旧道
葦分神社(島1)

天照皇大神を祭る神社
(詳しい由緒は不詳)
島の集落へ

周辺の水田の海抜が3〜5mのなか海抜6m前後の微高地に集落があり安威川の氾濫原のなかでは名とおり「島」

安威川、茨木川上流域の排水が集中するところ

渕埋山 光善寺(真宗大谷派)

枚方出口の「淵埋山光善寺」第5世顕勝が元亀三(1572)年に創建とされているが本尊が平安期作であることからさらに300年は遡るのでは、と言われている
島の自然石の道標
「左 鳥かい(鳥飼)、 右 妙見山」
この辺り、昭和53年に大阪府中央卸売市場(北部市場)とトラックターミナルが開設され、一面の水田地帯が様変わりし、旧道は消滅



安威川を渡る「宮鳥橋」

宮島村と鳥飼村との境に架かる橋で「宮鳥橋」か



消滅した旧々道時代の宮鳥橋は現在の橋の少し下流に架けられていた
現在の東海道貨物支線(東海道本線と大阪貨物ターミナル駅を結ぶ貨物線)の鉄橋付近と思われる
安威川と並行して流れる「番田水路」には通行不能となっている橋が残り、旧々道の位置にあたる

(旧々「宮鳥小橋」か?)
橋は閉鎖され通行不能のため新道の宮鳥小橋を渡り旧橋の対岸へ
旧々道が残されている
「饒足」(神崎川改修饒足の碑・明治13年)
「神崎川付け替え改修工事が竣工した際、渡辺大阪府知事の功績をたたえる為に鳥飼八町村の人々が建てたもの・・・」


車の通行量が多い4車線の新道の西側に並行してひっそりと旧道がある
鳥飼小学校(摂津市鳥飼下)までくると正面に淀川の堤(高槻街道支線)が見えてくる
小学校の角を右へ回りすぐに左の道へ
まもなく淀川堤に
枝切街道終点

東淀川区菅原で亀岡街道から分岐し淀川右岸堤上を来た高槻街道支線に合流
そこから200〜300m下流に藤森神社の鳥居があり、その鳥居の足元横に摂津市等による「鳥飼の渡し跡」の説明板がある
「鳥飼(養)の渡し跡
 市内には「鳥飼上の渡し」「五久の渡し」「鳥飼の渡し」「願正寺渡し」「一津屋の渡し」などの渡し場があり、地域の人達によく利用され、親しまれました。
 古くは、慶長十九年(一六一四)片桐且元が、大坂冬の陣を前に家臣とともに大坂城を退き茨木城(茨木市)に入った時、この「鳥養の渡し」を利用したと伝えられる。その後、幕藩体制の中で許可制となった。
 それまで民間で運営されていたが、昭和八年(一九三三)に大阪府営(無料)で利用されるようになった。
 そして、昭和二十九年(一九五四)に鳥飼大橋が完成したが、この渡しは、昭和五十年(一九七五)淀川改修工事まで存続し、淀川本流最後の渡しは運行を停止した。
監修 摂津市文化財保護審議会 摂津市教育委員会
寄贈 摂津ロータリークラブ
平成一九年四月」


かつて「鳥飼の渡し」があった辺り 現在は府道15号として「鳥飼仁和寺大橋」で渡る

生駒山
淀川を渡ると左岸堤上は京街道、また南へとれば小阪街道
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