古堤街道2 古堤街道3 古堤街道4


古堤街道(その1)

GoogleMapで見る
古堤街道
 「大阪市より大和の北部に通ずる捷路にして、大阪市北區相生町國道第二號路線より起こり、東成郡鯰江村、榎本村、北新開荘村及び北河内郡今津村、古宮村、南郷村、住道村等を経て同郡四條村大字中垣内山間に於いて左右に分かれ、右は短距離にして奈良縣生駒郡井駒村に通じ左は少しく東北に觸れ田原村大字上田原國界より生駒郡北條村に通ずるものとす。管内の延長四里十八町四十四間、沿道にして大阪市と住ノ道村との間は寝屋川の水路在るありて、中部河内に於ける運輸交通の便具はり物資の輸送常に頻繁なりとす。殊に春秋の佳節に際しては四条畷小楠公、野崎観音、生駒山寳山寺等に詣づるもの皆本道に據るを以って亦須要の道路たるを失わず。」(明治36年「大阪府誌」より)
 大阪市北區相生町(現在の都島区片町一丁目)で國道第二號路線(京街道)から分かれ寝屋川沿いに進み住道で寝屋川と分かれ中垣内から山手に入る。旧街道は左右に分かれるが、右の道は地図上、途中一部ゴルフ場内に消えてしまっているようなので、今回は左のコースを辿ることとした。(そのうちに機会があれば右のコースも行ってみるか)
 また住道までは野崎参りで有名な慈眼寺(野崎観音)への参詣道である「野崎街道」とも言われている
古堤街道の起点
京街道(明治18年国道表に定める國道第二號路線)の相生町(現都島区片町1丁目)付近
ここから右に分かれ寝屋川沿いに東へ向かう
東に進むとやがて片町橋
平成9年までJR片町駅があった




かつてこの橋の西詰に下の道標があったとか
現在は京橋駅の京阪モール、京阪ホテルの北側に立てられている道標
「左 京みち」
「右 大和 な(ら) の(ざき)」
「右 大坂」
「文政九丙戌年九月吉日」(1826年)
京街道と古堤街道を示している

JR学研都市線(旧片町線)
街道は寝屋川に沿って進む





巡航船船着場跡

(城東区役所)

新喜多橋
大正4年〜昭和7年まで
新喜多大橋と新喜多橋の間付近に
巡航船の船着場があった



新喜多橋から今福南へ
古堤橋
大川と寝屋川を結ぶ運河として昭和10年頃に作られた城北川(城北運河)の寝屋川への出口に架けられた橋と寝屋川口水門





一方、京橋から寝屋川沿いではなく野田橋を渡る京街道をしばらく進み、JRのガード手前から京街道に分かれ鯰江川(昭和40年頃に埋め立てられた)の堤を進む道も古堤街道


京街道は野田橋を渡ったが、現在は鯰江川が埋め立てられ道路となている
しばらく進むと京街道と古堤街道との分かれ道となるが、京街道は京阪京橋駅で途切れてしまう
 
京街道と古堤街道のかつての分岐
かつての鯰江川跡
架かる橋はJR京橋駅(鯰江川橋梁)



蒲生4丁目付近


三郷橋の丸木舟出土地(今福西1)
大正6年鯰江川の工事の時に地下から楠の大木をくりぬいた丸木舟(長さ約13.5m、幅約1.8m、深さ約1m)が発見された


丸木舟出土地案内板
(城東区役所)

今福の四辻
この角に下の常夜燈型形の道標が立っていた


皇大神宮(今福南2)
皇大神宮境内にある道標(元は四辻に立っていた道標)
「左り 大坂」
「右ハ のざき ならいせ道」
「天保三年壬辰三月吉祥日・・・」(1832年)





寝屋川沿いの直線道路を進む
徳庵井路
宝永元年(1704)大和川の付け替え以前の明暦元年(1655)に深野池と新開池の排水用として河内郡今米村の庄屋九兵衛が徳庵から今福までの2.5Kmの徳庵井路を開削
放出街道(中高野街道)と合流

徳庵橋

「徳庵橋付近案内図」
(大阪市建設局)

五箇井路と六郷井路



中茶屋

徳庵橋から小阪街道を北へ古川沿いにしばらく行くと中茶屋の三叉路

    中茶屋の道標(宝暦11(1761)年)
「左 京みち 右ならミち」
「もろくち村 中茶や」


左は小阪街道、右は旧古堤街道で右へ向かう

道はやがて茨田小学校につきあたり迂回しても中央環状線と住友倉庫などに遮られ、昔の道はたどれない
鴻池大橋から逆にたどるもやはりここまで
諸福6丁目付近


古堤街道2へ
TOPへ