枚方街道



 「本街道は北河内郡枚方町三ツ矢]に於ける國道第貮號路線に起り、淀川渡船によりて三島郡に入り、大冠村大字大塚にて茨木街道に接続し、淀川左(?)岸堤塘によりて同村大字中小路に下り、高槻村を経て同郡芥川村大字芥川に至り是に國道第三號路線に聯絡す。延長壹里貮拾町五拾九間、地勢は略前島街道に等しく、幅員約貮間を保てり。」(大阪府誌から)

 現在の国道170号線ルート






枚方街道1
「枚方街道」は京街道から
京街道枚方宿
枚方街道の起点(枚方市三矢)
「すぐ國道第二號路線京・・、左枚方街道」

枚方の渡し(大塚の渡し)
明治10年に国鉄高槻駅ができてからはこの辺りの郵便物をこの渡しで運んでいたので「郵便屋の渡し」と呼ばれた
淀川 枚方側










淀川を渡った対岸(高槻市大塚)の河川敷に立つ道標
北面「右 枚方街道大冠高槻停車場島本西京 左 茨木街道茨木富田三ケ牧鳥飼」
西面「右 河内国北河内郡 左 摂津国三島郡」
東面「右 三島郡富田如是 左 北河内郡枚方星田」

枚方街道は北へ(淀川の上)
茨木街道はここから南へ(淀川の下)

昭和15〜17年この付近の堤防が内陸部へ100mi移動する改修工事が行なわれたため、この道標は元々あった付近である現河川敷内に立っているのか

大正6年の大塚切洪水記念碑(高槻市教育委員会)
大塚

昭和15年〜17年に行われた大塚引堤工事により大塚の約70戸の全戸移住が実施された

深沢本町
檜尾川合流付近

堤防から分かれ旧野中村(現大冠町2)へ

坂を下る途中に立つ道標 
南面「右 五領山崎向日町京都、 左 高槻芥川福井豊川茨木吹田箕面池田」
西面「右 河内枚方国道弐号」
北面「直ぐ河内枚方国道弐号」
東面「此所大冠村大字野中 明治四十二年七月建設 大阪府」
       
     
大冠町2(旧中小路村)

正面は尊重寺
尊重寺(そんじゅうじ)

文明(1475)年創建の浄土真宗本願寺派寺院
銀杏の古木が聳える

須賀町付近
この突き当たり左角に道標がある

須賀町の道標
「此所大冠村大字野中」
「右 高槻芥川 左 大塚枚方町 枚方街道」
「右 高槻芥川富田如是三島茨木 左 前島上牧 枚方街道」
「明治四十二年三月建設 大阪府」

辻子一丁目付近
竹の鼻水路を越え旧道と思われる道をを行くが途中で不明


このあと新幹線高架下を越え国道170号線を渡り春日町へ

春日町(旧西天川村)の楠のある屋敷
春日神社
八幡町8

高槻城下の六口の一つ「大塚口」
高槻街道に合流する

大塚口の道標
「枚方街道 右停車場國道三号芥川 左大冠枚方」
「左富田茨木大阪」「大阪府」
大塚口から京口に向かう本町通りは高槻街道でもある
八幡大神宮(八幡町)
高槻城の守護神の一つ

上本町で東(右)へ前島街道が分かれていく
高槻六口のうち「前島口」は右に入って少し行ったところ

前島街道との分岐に立つ彫の深い道標
南面「右 八はた淀前島舟のり場 すぐ 京伏見山さき柳谷よしみね」
東面「右 あくた川かさのも里のせ妙(見) 左 そうち寺とん田いばら木」
北面「すぐ 大坂三しまへからさき そうちし ひらかた」
西面「文政八乙酉年四月吉辰」
本町通り
本町通の突き当たりで高槻街道は右へ分かれる
枚方街道は左へ芥川へ向かう
京口町の道標 
南面「右 京山崎淀柳谷 ふしみ宇治八幡」、東面「左 大坂吹田茨木 尼ケ崎惣持寺」、西面「萬延元年庚申九月吉辰」 、北面「當村往来安全 願主・・・」


理安寺付近 国道171号線を越えたあたり(城北町1)   
紺屋町
このあたりが高槻城下六口の一つ「芥川口」か
JRを地下道で越え芥川宿へ
枚方街道終点  西国街道芥川宿仇討の辻  
(手前が西国街道、正面の道が枚方街道)


芥川宿の仇討
「江戸時代初期、石見国吉永(島根県大田市南部)の城下町で、二人の若侍が同藩の美しい稚児の争奪から その意趣遺恨で果し合をしたのが発端。下手人の侍は自分の邪推から もう一人の藩士を江戸表で殺した。 殺された藩士の子息 助三郎は、親の仇討を深く心に決め、助太刀の剣士と若党を従え敵を求めて諸国を遍歴すること二年有半、敵が 当芥川宿の旅籠に入るのをついに見届け、この辻で助三郎少年は 声高々と名乗りをあげて躍りかかり不倶戴天の敵を討ち取り めでたく本懐をとげた。 時に弱冠十四才であった。」(郷土史研究会中西七丘氏の説明板から抜粋) 
芥川一里塚
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