茨木街道1 茨木街道2



茨木街道



 「三島郡豊川村大字道祖本に於ける國道第参號路線より起り、同郡春日村大字郡に至りて亀岡街道と合すること三百八十間、更に東南に岐かれ茨木停車場を通過して茨木川高橋に至り、高槻街道と相會すること四百九十四間にして茨木村の頭部に達し、是れより東し安威川を越えて三島村大字鮎川に入り、玉川の南堤防百四十三間を利用して三箇牧村に出で、同郡大冠村大字大塚に於いて枚方街道に接續せり。
 延長二里五町四十五間、幅員約一間八分を有し地勢概平坦なりといへども曲折甚しく、安威川その他の堤防高度にあるを以って其の前後は自然坂路の形を為せり。
 然れども沿道数多の里道を湊合し三島郡茨木町と北河内郡枚方町との間交通の捷路たるを以って往来常に絶えず。」(大阪府誌から)

 現在の府道139号枚方茨木線ルート

 今回は枚方から道祖本へ逆コースで歩いています






茨木街道1 (高槻市)
枚方から淀川を渡り大塚(高槻市)までは「枚方街道
淀川 枚方側






淀川を渡った対岸(高槻市大塚)の河川敷に立つ道標
北面「右 枚方街道大冠高槻停車場島本西京 左 茨木街道茨木富田三ケ牧鳥飼」
西面「右 河内国北河内郡 左 摂津国三島郡」
東面「右 三島郡富田如是 左 北河内郡枚方星田」

ここが茨木街道の始まり
昭和5年に枚方大橋ができ枚方の渡しは廃止された
大塚町付近の淀川堤防 堤防沿い番田の集落
芥川の淀川への河口付近と芥川最下流に架かる鷺打橋

(2005年に緊急用河川敷道路としてさらに下流に橋が架けられた)

唐崎過書浜跡(高槻市教育委員会)

芥川の河口にあたる唐崎浜は江戸時代主要な河港として栄えた
明治41〜42年の築堤工事により入江は無くなった
芥川を緊急用河川敷道路の橋で渡り堤防を越え唐崎に入る
段蔵(唐崎中1)

 淀川右岸のこの付近は近年でも大正6年の大塚切れ、昭和28年の芥川決壊と大きな水害に見舞われている。
 敷地を嵩上げして三段の蔵を造り水害に備えた
唐崎
北向地蔵尊(唐崎中1-8)

北向地蔵尊を過ぎ信楽寺横から新道に出たJAたかつき唐崎支店前に立つ道標

北面 「(直? )三島江 鳥飼 、(右? )茨木 吹田 大阪」
西面 「(右?) 三島江 鳥飼 味舌 柴島 、(左?) 大塚 枚方」
南面 「直 大塚 枚方 、(左?)茨木 吹田 大阪」
東面 「明治四十三年六月 此所三箇牧 大(阪府)」

(「左」「右」などの文字が削られているのは、この地点から東へ直進する府道ができたときに方向が合わなくなったためか)


                 
南之口地蔵堂(唐崎中4)
街道は農協前の道標から西へ向かうが、そのまま南へ100mほど入ったあたりに立派な地蔵堂がある
地蔵の台座に享和二(1802)年七月と刻まれている
地蔵堂は大正九(1920)年に唐崎神社の拝殿が移築されたものらしい
信楽寺付近の街道
府道16号大阪高槻線に続き14号十三高槻線の交差点を越え高槻市クリーンセンター沿いに旧道を進むと番田井路の堤に出る
府道は番田水路(井路)を玉川橋で渡っていくが街道はしばらく堤上を進む
番田水路(井路)

慶安4(1651)年、高槻藩が芥川左岸に広がる低湿地の水を、芥川を伏せ越して、柱本に至る番田井路を開削。その後下流域へ延長され江口(東淀川区)で神崎川へ排水

          番田の大樋跡
   
玉川の里

「うのはなや暗き柳のおよびごし」天保14年(1843)に刻まれた芭蕉句碑
卯の花や月の名所として古くから歌に詠まれてきた

玉川橋から下流にかけて遊歩道が整備され卯の花(ウツギ)と桜の並木が続き4〜5月花の頃はすばらしい景観
玉川橋から150mほど下流
旧街道はかつてここから対岸へ続いていた
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