紀州街道1 紀州街道2 紀州街道3 孝子越街道1 孝子越街道2 大川越1 






紀州街道2(堺〜岸和田)




大和橋で大和川を渡ると堺市に入る
北旅籠町付近
風間寺(堺区並松町)
元和元年(1615)大阪夏の陣で全焼した堺の町を地割奉行風間六右衛門が碁盤の目状に町割をしたが日蓮宗寺院に多くの敷地を与えたという不平が起こり幕府から召還命令が出されたが、上府を装いこの地で自刃した。
材木町の道標
「左妙国時、右住よし大さか」(安永六年=1777年)

関口(あぐち)神社

旧市内唯一の式内社、塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)、素盞鳴神、生国魂神を祀る

関口神社西門前にある「海会寺井」
南宗寺 山門
(南旅篭町東)
三好長慶が建立し、弘治3年(1557年)、大徳寺第90世大林宗套を開山として落慶し、大坂夏の陣で焼失、元和3年(1617年)、沢庵(たくあん)和尚により再建された




土居川を少林寺橋で渡ると西湊町に入る 船待神社(西湊町1)
元塩穴郷にあり塩穴天神社といわれ天穂日命を祀る
浜寺石津町中にある地蔵堂
「横寝地蔵」といわれ横倒しになっている
石津太(いわつた)神社
毎年12月14日に行なわれる火渡神事はヤッサイホッサイ祭として有名

石津川に架かる「太陽橋」
南詰めに明治五年「通行人之橋銭以落成」とある道標?
浜寺公園
明治6年、公園として指定されたわが国最公園
阪堺線浜寺駅




高石神社
(高石市高師浜4)
貝殻地蔵
明治の終わりごろ高師浜の地引網に掛かったものを引き上げたなかに未完成の仏像があり漁師が手厚く祀った
(高石市千代田1)
長屋門のある旧家
(高石市千代田5)










泉大津市
「中和泉街道」
(助松町1-4)
田中家本陣
(助松町2)
敷地約100メートル四方に長屋門、母屋、座敷、土蔵、納屋、庭園をもつ

西国三十三度宝筐印塔 大津神社




浜街道



忠岡町との境界となる大津川の楯並橋の手前にある地蔵堂

一面六臂で足の下に三猿?を従えているように見えることから青面金剛?(元禄八年九月)




忠岡町
忠岡中 磯上町




岸和田市
岸和田市春木元町付近 並松町
岸和田中央会館
(北町)
昭和初期の建物
紀州街道
古城川に架かる「欄干橋」(北町)
欄干橋を渡った角に建つ成協信用組合岸和田支店(魚屋町2)
大正8年に、旧 四十三銀行として建てられた
堺町に入り街道は鍵形に曲がる
かつて江戸時代には堺口門のあったところ


岸和田城





 建武年間(1334〜36)頃、楠木正成の代官としてこの地に来た和田高家が今の野田町あたりに築いたといわれている
 天正13(1585)年、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、伯父小出秀政を城主とし、城やj城下町が整備され、天守閣もこの時秀政によりに築かれ、慶長2年に完成した。
 豊臣家滅亡後、松平(松井)氏三氏を経て、寛永17(1640)年、摂津高槻から岡部宣勝が入城、以後13代続き明治維新をむかえた(岸和田城案内リーフレットから)
 文政10(1827)年、落雷により天守閣は焼失し、以後永らく再建されなかったが、昭和29年、鉄筋コンクリート造りで天守閣が再建された
天守閣からの眺め
西(海)方向



こなから坂
本町の町並み
紀州街道沿いの本町の町並み
江戸時代岸和田城下で最も賑わう通りであった
一里塚弁財天



天性寺 蛸地蔵(南町)

「天正年間(1573〜86)、岸和田城は根来・雑賀衆に攻められ落城寸前であった。その時、大蛸に乗った一人の法師と数千の蛸がどこからともなく現われ、凄まじい勢いで敵兵をなぎ倒し、城の危機を救った。その数日後、城の堀から矢傷・玉傷を無数に負った地蔵が発見され、城内に大切に収められた。文禄年間(1592〜96)からは、天性寺内にある日本一大きな地蔵堂に移され、今に至る。
 境内には一切蛸を食べずに願をかける、風変わりな蛸絵馬が無数に奉納されている。
 また、参道入口左側の石標「たこちそう」の字は、江戸時代の書の大家・池大雅の書であると伝えられている。」(岸和田観光マップから)




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