| 紀州街道1 | 紀州街道2 | 紀州街道3 | 孝子越街道1 | 孝子越街道2 | 大川峠越1 2 |
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紀州街道 大阪と和歌山を結ぶ主要街道 江戸時代には紀州藩や岸和田藩の参勤交代の道筋として利用された。 明治18年内務省告示「国道表」にいう國道二十九号路線(起点は東京、終点は和歌山) 明治36年大阪府誌における起点は、「大阪市東区高麗橋通字堺筋國道第二十六号路線より起り」とある。経由地は「西成郡今宮村、勝間村、粉濱村、安立町、堺市、泉北郡湊村、濱寺村、高石村、大津村、忠岡村、泉南郡北掃守村、岸和田町、同濱町、貝塚町、佐野村、北近義村、北菜中通村、田尻村、南中通村、雄信達村、西鳥取村、同郡東鳥取村大字山中紀泉國界より和歌山県海草村、和歌山市」 孝子峠越街道 同大阪府誌「泉南郡北中通村大字鶴原における國道二十九号路線より起り、佐野村、田尻村、西信達村、樽井村、雄信達村、尾崎村、西鳥取村、下荘村、淡輪村等の諸村を聯結し同郡深日村に至りて南折し孝子村大字孝子越、紀泉國境より和歌山県海草郡に入り、以って和歌山市に通ぜり。延長七里十二町四十七間・・・」 |
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| 紀州街道1 (高麗橋〜住吉区安立) |
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高麗橋(大阪市中央区)から通を東へ向かい堺筋に出たところが起点 | ![]() |
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| 道修町 旧小西儀助商店(現コニシ株)明治36年築は国の重要文化財 | 平野町 生駒時計店 生駒ビル(昭和5年) | 南本町 明治屋ビル(大正13年) | |||
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日本橋(にっぽんばし)から見た道頓堀 道頓堀は元和元年(1615)安井道頓、道トらが私財を投じて開削した運河 日本橋東北詰に立つ「増従五位安井道頓道ト紀功碑」 |
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![]() 日本橋三丁目の道標 ここまでが中央区で南が浪速区 |
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| 明治時代には五階建ての「眺望閣」があった | |||||
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かつて日本橋筋は「長町」と呼ばれ旅籠が軒を連ねる宿場町であった 東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんも物語の中で長町7丁目の分銅河内屋に宿泊している。 寛政4年(1792)に長町1丁目から5丁目が日本橋筋と改称され、明治5年、長町6丁目から9丁目も日本橋筋となり、長町の名は消えた。 長町7丁目は現在の日本橋筋4丁目から5丁目あたり |
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←廣田神社 古くから、廣田神社の神使とされてきたアカエ。このアカエ、痔疾をはじめ難病悪疫の守り神として広く信仰されており、アカエを絶って、つまり断食して祈願すれば、霊験あらたか難病も治癒するといわれている。 |
![]() 今宮戎神社 |
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JR大阪環状線新今宮駅を越えると西成区萩之茶屋 | ![]() |
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天満宮(西成区岸里東2) 一名「天神森天満宮」、「天下茶屋天満宮」、「子安天満宮」、「紹鴎森天満宮」ともいう 茶道中興の祖武野紹鴎(千利休の師)この森の一隅に茶室を作り暮らしたので紹鴎森ともいう |
境内にある「天下茶屋仇討ち供養塔」慶長14年(1609)備前の人林源次郎が父と兄の仇を打ち本懐を遂げたと伝えられる出口橋の袂にのちに供養塔が建てられたものを境内に移設 |
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天下茶屋跡![]() |
![]() 北畠親房公、顕家公を祀る阿部野神社 (阿部野神社HP) |
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南海高野線の高架下を越え阪堺線と合流したところにある 南海電鉄・玉出変電所 旧阪堺電気軌道・第二変電所 明治44(1911)年 |
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![]() 帝塚山を示す道標 |
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東粉浜2丁目で右の旧道へ入る | ![]() |
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街道沿いの親子地蔵尊(東粉浜3丁目) | ![]() |
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| 住吉大社(住吉大社HP) | |||||
![]() 反橋 |
神功皇后摂政11年(211年) 住吉三神(底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命)を祀る |
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![]() 御田 |
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安立(あんりゅう) 「安立町の由来 古く万葉の昔から海浜に沿う紀州街道の松原の景勝地であったが、元和年間(1615〜1623)典薬頭半井安立という良医この地に居てその治療を受けに集まった近国の人々が住みつき一つの村落となり安立町の名をなすに至ったという」(霰松原旧跡安立忠魂碑整備委員会案内碑) 安立町中ほどにある「霰松原旧跡」 |
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| 安立中央商店街 | ![]() |
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安立町を南へ進み大和川へ | ![]() |
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大和橋之碑 「大阪市と堺市を結ぶ大和橋は、大和川の開削と共に宝永元年、紀州街道が川を渡るところに架けられた公儀橋であった。当時、大和川にはこの橋しかなく、旧暦6月末日に行われていた住吉大社の大祓の祭では一場の舞台となった。神遷しをした神輿をかつぎ数百人が持つ炬火の火は西宮を始め兵庫、明石から泉州海岸まで見ることができ人々はこの火を目印として神幸を拝したという。 これを「住吉の火替」といった。 幕府の手によって架けられた大和橋は洪水時に絶えず流失の危険にさらされながら大正5年、大阪府が鉄橋に架け換え、現在の橋は橋梁形式三径間連続の斜張橋で橋長192メートル、有効幅員9.5メートルとなった。 平成11年3月大阪市」 |
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