亀岡街道・清阪街道




 宇野辺(茨木市)


高麗橋から吹田を経てきた亀岡街道は茨木市宇野辺で高槻街道に分かれる。



 宇野辺にある道標
 「右 たんば 妙見」、「左 山田」
    

 
 郡三丁目(茨木市)

 亀岡街道と茨木街道との合流点にある献燈道標
 「右 妙けん たんば」、「左 大坂」


乗雲寺(郡三丁目)


中河原の道標 

西国街道と亀岡街道との辻に立つ大型の道標

「東 大津十一里 京都七里 八幡五里 
山崎三里二十町芥川一里二十町」
「南 堺九里 住吉七里 大坂五里 吹田
三里 茨木驛三十町」
「西 姫路二十三里 神戸十一里 池田三里
岡三里 箕面山二里」
「北 明治三十年十月建之 」

亀岡街道は北へ

     「交通の要所中河原」 「中河原の道標」


 東福井
 中河原橋を渡り旧道を行く
     
 
佐保川を渡る新屋橋の南側にある道標
「右 妙見 たんば」、「左 郡山大坂」
文政十年(1827年)
向きは?


福井辻の道標
「右 石河」  
「左 亀岡妙見」
明治25年佐保川沿いに新亀岡街道が開かれた
直進が新亀岡街道となるが右の旧亀岡街道筋を通り清阪街道へと進む
 


真竜寺の西方から山手に入る(旧亀岡街道)


 茨木サニータウン造成中に移動された道標(山手台中央公園内)

左「南無妙法蓮華経」
 「左京みち 右大坂」
左から二つ目の自然石「左上牧」
三つ目「右大坂福井郡山茨木みしま江」
「すぐ能勢妙見山 国見かめ山」


国見(茨木市大岩)
国見村落の北のはずれ、清阪街道(右)と
妙見街道(左)分岐点に立つ道標
「右 あなう 左 ささ山」

その奥に「八大竜王山 二十四丁」の道標


(2001.3.17)

忍頂寺
竜王山登山口の道標

竜王山は標高510mで八大竜王信仰の山
忍頂寺から下音羽へ


下音羽川を渡る
清阪街道は橋を渡り右へ

清阪側から見た竜王山



清阪の集落に入る(左)  直進は新清阪峠

清坂集落


←清阪集落の入り口付近 墓碑の側面を道標としたもの
正面 墓碑
左面「右阿なを寺道」
右面「左そうじ寺道」
(安政4年)

↑正面「右 あなう」
右面「左 そうじ寺」
(文化2年)


清阪集落を離れ旧峠道へ
旧清阪峠

左右面に「左あなを」「右そうじ寺」を
標した墓標
(文化3年)
←旧峠からの下り道は
最近通行の形跡なし

→旧峠道を下ると
  新峠に出る
新清阪峠を越え亀岡へ
「従是南摂津国 大阪府支配所 
従是北丹波国 京都府支配所」
(明治9年9月)


東別院柏原

柏原天満宮神社(東別院町柏原)


金輪寺
東別院町東掛は石門心学の祖といわれる
石田梅岩の生誕の地
東別院町東掛
「すぐ 亀山あのう寺 左大坂そうじ寺」
亀岡市街まであと10Km(15:40)
左折し年谷川沿いに下る(16:19)
写ってはないけど結構車の通行量は多い




鍬山神社(亀岡市上矢田町)
和銅2年(709年)創建と伝えられる古社で、
大国主命が亀岡盆地が湖だった頃、鍬で
峡を切り開き農地にされたという国造りの
伝説がある
開削に使った鍬が山積みにされたことから
鍬山大明神と呼ばれる
解藤泉


亀岡市「矢田町」
10月23日から25日にかけて鍬山神社の秋祭り
として11基の山鉾巡行がある           
矢田町、京町、上矢田町は難波鉾
「京町」は篠山街道でもある
明智光秀の築城により整備された城下町は
岡部長盛の時の天下普請により完成
御土居や町並など随所にその名残をとどめる

JR亀岡駅(17:57)

愛宕山(駅のホームから)