粉河街道





より大きな地図で 粉河街道 を表示

 粉河街道

「泉南郡北近義村大字脇濱なる國道第廿九号路線より起り、南近義村、北中通村、熊取村、日根野村等を経過して同郡大土村大字大木紀泉國界より和歌山縣海草郡粉川に通ぜり。
 長四里九間、幅員約一間三分にして、南近義村に於いて小栗街道を横断し、熊取村に至るの間は地概平坦にして交通稍盛んなれども、同村以南國境に至る約二里の間は専山崖渓流に沿ひて紆繞し、左右には和泉の連峯聳立せり。而して其の勾配の急なるは九分の一、緩なるは二十分の一を下らず。
 其の間亦少許の平地を存すれども幅員僅かに一間に充たずして頗難路たるを免れず。随ひて通行希少なれども紀州北部より泉州に通ずる唯一の捷路たるを以って軽装の旅客は多く本道に依るを便利とせり。
「大阪府誌第4篇」(明治36年)から引用


貝塚市脇浜→王子→泉佐野市新家→大久保→野田→土丸→大木→犬鳴→紀の川市茶口→神通→志野→粉河


紀州街道(貝塚市海塚3)
脇浜一丁目で粉河街道は紀州街道から分かれる。角に道標がある 「左粉川街道犬鳴不動粉川道」、「右国道廿九号路線佐野加太和歌山道」(明治29年大阪府)
加神の南海電車の高架下にある道標型地蔵
「右犬鳴山新四国、左橋本水間」
加神2丁目の地蔵
これも道標を兼ねている
近木川を渡る手前にある道標型地蔵
(畠中2)
窪田の地蔵も

「右大木、左七山」 正面が熊野(小栗)街道
熊野街道との合流の角に建つ新しい地蔵

貝田橋で見出川を渡ると熊野街道は右、粉河街道は左へと分かれる
新家付近

住吉川(大久保中二丁目)
雨山川を渡る巽橋(大久保中三丁目)
京都大学原子炉実験所

前方に雨山が見えてきた こちらは小富士山
大池を越えたところで土丸への旧道に入る

「大乗妙典一字一石」、「すぐ粉河、左山みち」、「すぐ貝塚、左こんぴらみち」(弘化三年) 土丸の集落
土丸 土丸駐在所前の辻の両側に地蔵がありいずれも道標 ここから佐野へ向う「粉河街道支線」が分岐
堅井川を渡る前川橋
この川に沿って街道は登っていく
はるか上に阪和道 雨山
旧向井家住宅
江戸時代の農家住宅で上之郷机場にあったものを移築したもの。泉南地域の農村住宅様式の特徴をもち、泉佐野市の指定文化財。
水呑地蔵

「右は稲倉池是より十丁」
「此池は稲倉山に発す。蓋し池は稲を作る倉也因りて之を堰止めて稲倉池と称す」(昭和34年)
稲倉池道標の後ろの地蔵
「右ハ馬道、左大木道」
中大木
分岐点に地蔵堂があり、道標を兼ねている
火走神社(中大木)
祭神は「火の神」である軻遇突智命
犬鳴山へ寄り道 犬鳴川
義犬の墓 義犬・・・ 犬鳴山七宝滝寺(ホームページ
清滝堂と行者の滝
三峯山(576m) 燈明ヶ岳(558m) 和歌山県(紀の川市)に入ると採石場

採石場を過ぎ二瀬川をさらに遡って行くと茶口集落がある
神通温泉 神通への分かれ道を過ぎたところから旧道を歩く
池田橋で新道に合流する。その後も旧道はあるものの通行不能

池田トンネルの手前で志野峠、松峠を経て粉河へ至る旧道を行く 右の松峠へ
松峠を越えると急に視界が開けてくる 「右新四國」の道標 桜池

北志野の辻の地蔵 北長田

粉河寺
大門(江戸中期の建立)
中門 本堂
奈良時代宝亀元年(770)の創立で現在のものは享保5(1720)年に再建された江戸時代中期の寺院建築の代表的建造物であり、西国三番札所である。
西国札所の中では最も大きいといわれ、内陣の厨子の内深くに秘仏の本尊千手千眼観世音菩薩が祀られている。
 西国札所の中では最も大きいといわれ、内陣の厨子の内深くに秘仏の本尊千手千眼観世音菩薩が祀られている。

(紀の川市・和歌山県教育委員会案内板から)

粉河寺庭園
桃山時代の枯山水の庭園で本堂前の左右崖地に築庭され、日本の庭園の中でも先例のない様式である。
松井(紀の川市)の大和街道に立つ粉河寺.を示す道標
「左こかわてら」、「右いせ道」 JR和歌山線粉河駅