熊野街道2 熊野街道3 熊野街道4 熊野街道5



熊野街道3

貝塚〜泉佐野

堂ノ池
貝塚市半田
半田一里塚
(貝塚市教育委員会)
地蔵型道標
「右おぐり 左みずま」
地蔵堂の屋根にも同じ表示がある
水間鉄道の踏切の手前の辻にある道標を兼ねた地蔵
「右かいつかみち 左おくりみち」

ここは水間街道との交点で水間街道は右へ貝塚へ向かう
水間鉄道の踏切を渡る
(貝塚市石才)
貝塚市石才付近




貝塚中央病院を過ぎ近木川を越える

このあたり積善寺城跡(貝塚市教育委員会)
正福寺
「真言宗御室派に属し、勝軍地蔵菩薩を本尊とする。もとは勝軍寺あるいは近義地蔵堂と呼ばれ、淳和天皇の時代823〜833)に建てられたと伝えられている。鎌倉・室町時代には広大な寺域を持ち、この地方の中心的寺院であったようで、地蔵堂の地名も当寺に由来する。永禄年間(1558〜1570)に岸和田の三好氏が根来衆と戦った際、兵火にかかり伽藍のほとんどが焼失した。寛文元年(1661)快栄によって再興され、正福寺の名に改められた。」(貝塚市教育委員会説明板)
南近義神社(貝塚市王子)
元は吉野の丹生神社の分社であり、丹生神社と呼ばれた。
熊野九十九王子のうち、鞍持・近木両王子も合祀されている。
←粉河街道との辻にある道標型地蔵
「すぐをぐり 左く三のき山」(嘉永六年)



「右おうぐりみち 左かいづかみち」→
(平成三年再建)




しばらく粉河街道と合流していた街道は見出川を渡ったところで右熊野街道、左粉河街道に別れていく
泉佐野市鶴原付近
このあたりに鶴原王子があったらしい

国道26号線を渡ると道ノ池沿いに進む
ここで大阪から海側を進んできた紀州街道と合流する
佐野王子跡(泉佐野市上町)



犬鳴山不動を示す道標

「ふどうみち」
「すぐ和歌山道」
「右さのみち」
(明治三十八年三月)

ここから粉河街道支線が分岐
熊野街道4