紀州街道1 紀州街道2 紀州街道3 孝子越街道1 孝子越街道2 大川峠越1 




孝子越街道1(泉佐野〜樽井)




泉佐野市
大阪から来た紀州街道は鶴原(泉佐野市)で左へ進み下瓦屋で熊野街道と合流、山中越で和歌山へ向かうが、孝子越はここから右の道を泉佐野、田尻、樽井、尾崎、淡輪と浜沿いを進み深日で大川越道を分岐し孝子峠を越えて和歌山に至る
「左 紀州わか山」
「右 大川あはしま」
(左)鶴原2丁目の街道沿いに残る北中小学校の旧校舎の一部?
住吉神社
息長足姫命(神宮皇后)、表筒男命、中筒男命、底筒男命のの住吉大神三柱を祀る
(下瓦屋2)

住吉神社から佐野川を渡ると街道左手に祠がある
(湊3)
新町3丁目の角にある道標を兼ねた地蔵
「右 さか(い大坂)」






さの町場
妙浄寺 日蓮宗(大宮町)
寛文2年(1662)一乗院日縁上人の開祖

天和2(1682)5月泉佐野の豪商唐金氏が奉納したもので現存する市内最古の梵鐘
鐘銘は当時の和泉出身の儒学者榊原篁洲の撰(泉佐野市教育委員会)
春日神社(春日町)
奈良時代に坂上刈田麿が奈良三笠山の春日神社の神を勧請したのが起源と伝えられる





子護地蔵(栄町)

上善寺手前の街道から南へすぐ
道標形地蔵で「右大川 すぐ犬鳴」とある
左へ粉河街道支線の起点

元は街道沿いの上善寺の壁の中にあったが、道の拡張によりこの場所に移設されたらしい




上善寺(栄町)
およそ500年前に建てられ、泉州の本山として末寺五十五寺を有し、後白河天皇より菊の紋を頂き12万石を与えられ寺領1万6千坪を有していた。草創当初は、今の大阪陶器株式会社および泉佐野中学校の所にあり、当時は、泉州の海域に海賊が横行し、度々被害にあい、やむなく信者であった奥左近の寄贈によって現在の場所に移された
「大仏様は明治の初め、河内の恩智の上善寺の末寺である安養寺から引っ張ってきたのである。今の道路状況からすれば昔ならではこそ成し得たことである。当時、当大仏は黒仏と呼ばれ、真黒なお姿であったのであるが、長年の月日によって上に塗ってある漆が剥げて、下の金箔が現れ、またその金箔もだんだん剥れてきて元の黒仏に戻りつつある
当大仏は、泉州地区では一番大きいとされ・・・」(当山山主)



水掛け観音(如意輪観音)
文久年間約130年前、当地の漁師の網に引っかかり、当寺院に安置されたもの





(右)新川家(本町)
江戸時代中期の町屋で、泉佐野市の文化財に指定。江戸中期、新川氏が醤油業を営むために建てた町屋で、町場地域の商家建築様式を伝える貴重な文化財
現在「泉佐野ふるさと町屋館」として見学できる

(左)明厳寺(浄土真宗)


(右)西方寺
門前に「おかごよせあと」の碑が立つ
佐野第一小学校内にある豪商食野宅跡

いろは四十八蔵(右)
今は民家として使われているようであるが、貴重な文化財として保護してほしいもの

いずみさの市報から

いずみさの昔と今
第97回 「佐野の豪商食野家 〜その1〜」
第98回 「佐野の豪商食野家 〜その2〜」
第99回 「佐野の豪商食野家 〜その3〜」
お多福石(本町4)
かつての銀行の金蔵の礎石に金運を招くお多福が
刻み込まれている






佐野旧市街を抜け関西空港道の下を越える
羽倉崎(右)をすぎると田尻町へ入る






田尻町




田尻スカイブリッジ




田尻歴史館(旧谷口家吉見別邸)
 関西繊維業界の中枢を担った谷口房蔵(大阪合同紡績(株)元社長)の別邸として、氏の郷土である大阪・田尻町に対象11年建てられた、大阪府指定有形文化財
(田尻歴史館HP)



春日神社(吉見)境内の街道沿いに建てられた「泉州玉葱栽培の祖」碑
吉見の篤農である今井佐治平・大門久三郎・道清音平は、土地に適する産物として明治17年に球葱を試作し。以来、産出量も増え、品質もよく、吉見球葱の名が各地で知られるようになった。

春日神社









泉南市
街道は堅井川をわたり泉南市岡田に入る




(左)岡田五丁目付近


(右)樽井駅付近



根来街道との分岐に立つ道標(樽井4)

(正面)「すぐ 大川 左 紀州いせきこえ」
(南面)「右 大坂」
(北面)「すぐ大坂」
(裏面)「天保十巳亥年十月吉日」








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