水間街道2(水間〜貝塚)

水間街道

 紀州街道、貝塚の中町から水間寺への参詣道であり、水間寺からは、蕎原へ近木川に沿って溯り、蕎原からは山道を葛城山頂へ向い、葛城街道(岸和田から塔原を経て葛城山頂へ)に合流する。
 貝塚から水間寺までは大正14年(1925)、水間鉄道が開業。また、大阪府道40号がほぼこの街道に沿っている。
明治36年「大阪府誌」から
・ 一等補助里道
・ 起點地名 泉南郡西葛城村大字蕎原葛城街道
・ 経過地点 泉南郡西葛城村、木島村、麻生郷村、貝塚村
・ 終點地名 泉南郡貝塚村大字中 國道第廿九號路線
・ 里稱    三里一七町

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水間街道1(蕎原〜水間寺)
水間街道の起点

葛城街道から蕎原への分岐点
分岐点に地蔵があり「左 水間、右 塔原岸和田」を示している 葛城山頂から葛城街道を下ってきたところで右は塔原から岸和田へ、左が蕎原から貝塚への「水間街道」
蕎原へ下っていく
蕎原(そぶら)

近木川沿いの道を下っていく
福神
道陸神社(どうろくじんじゃ)貝塚市教育委員会による説明板から
「道陸神を祭神とし、足の神として広く信仰されている。もともと、戦国時代にこのあたりに勢力を持っていた松浦肥前守守(まもる)によって、近くにあった蛇谷城内にまつられていたものが、後になって土地の人々により、現在地へ移されたという。蛇谷城の兵士が、湧き出る清水によって足の傷を治したことから、信仰が始まったと言い伝えられている。この地は葛城山への登山道にあたり、修験者や紀州へ行き来する人たちで賑わった。 平成3年12月 貝塚市教育委員会」
松葉温泉滝の湯から少し下ると切通した峠を越える。そこにある「峠改修碑」
「この貝塚牛滝線は本誌を東西に通する主要道路であってこれが拡巾は幾年にわたる市民の熱望である。・・・昭和三十八年十二月竣功」
阪和自動車道高架下にある「只今の気温」



上木積 上木積のバス停から少し下がった道脇に中央が窪んだ岩とその横に文字が完全に消えた立て看板。なんでしょうか?
近木川を渡る「大橋」 大橋から見た近木川上流
左手に釘無堂が見える
孝恩寺観音堂(釘無堂) 国宝 釘無堂縁起
下木積の牛瀧街道支線との辻に石柱の道標と地蔵堂がある
石柱道標 正面「左 こつみ村 楠大明神 五丁」、右面「右 道陸神社二十丁」、左面「大坂 岸田屋」、裏面「寛政八年丙辰九月」 (1796年)
地蔵型道標 左の地蔵 「右 かつらき高野道、左 牛たきまきのを 大峯山伊勢道」
地蔵型道標 右の地蔵 「右ハかつらぎ道、左牛たきまきのを」

ここで西から来た「牛瀧街道支線」に合流ししばらく並行する


龍谷橋(近木川)
牛瀧街道支線はここから橋を渡り南へ
厄除橋を渡り水間寺へ
水間寺
龍谷山水間寺(天台宗)




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