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「水間寺の由来(水間寺由来記より)」水間寺HPから引用)

「水間寺の創建は、人皇四十五代聖武天皇が四十二才のとき、ご病気にかかられ、なかなかご平癒になられなかったその時、夢のお告げがありました。
「この奈良の都より西南の方角にあたって観世音菩薩がご出現なされる。よってこの観世音の尊像を都にお供をしてご信仰申せ」とのこと。聖武天皇は、勅命をもってこの仏像を探すことを命ぜられました。

 その当時、生き仏として庶民より最も信頼されていた行基菩薩にこの大切な仏像を探すことを依頼されました。行基菩薩は、この仏様を求めて、この奈良の地を発たれ、西南方の地を歩かれ、そうして到達したのがこの水間の地でありました。当時この地は今は想像も出来ないような山間部で、霊峰葛城の峯よりこんこんと流れる水の間に巨岩があり、原始林に囲まれた神域でありました。

 このとき突然「十六人の童子」が出現し、誘うともなく行基菩薩を谷間に導きました。そこにはこの谷間の美しい水の流れる巨岩の上に白髪の老人がおり、手に一体の仏様を捧げ、「汝を待つこと久し」と言って、自分の手首を自ら噛み切って、その尊像を行基菩薩に手渡し、そうして自分は龍となって昇天したと由来記に記されています。

 この仏様は、一寸八分(約6cm)の閻浮陀金の聖観世音菩薩で、謹んでこれを天皇に捧げたところ、病は全快されました。聖武天皇は、この仏様を現地にお祀りするようにとの勅命を下し、その命をもって水間に行かれた行基菩薩は、堂宇を建立し、厄除け観音として庶民にも信仰されるように努められました。」



境内図

本堂


三重塔
天正13年(1585)秀吉の根来攻めにより焼打ちに遭い、七堂伽藍、坊舎等灰燼に
復興するも天明4年(1784)火災により全焼
現在の本堂は文政10年(1827)再建されたもの
本尊の身の丈一寸八分の聖観世音菩薩は秘仏で未公開。前立聖観世音菩薩立像を安置


本堂同様天正13年焼失、萬治年間再建され井原西鶴の「日本永代蔵」のモデル
現在の塔は天保5年(1834)再建され、明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重塔


聖観世音出現の瀧




隔夜僧

千日隔夜宝篋印塔(享保12年)




愛染堂
お夏清十郎の墓
前の花立てには、昭和11年映画主演の「田中絹代」と「林長十郎(長谷川一夫)」の名が刻まれている
約700年前、水間の豪農楠右ヱ門の娘お夏がこの愛染明王に祈願し勅使であった山名清十郎との恋を成就させたといわれ、前庭に「お夏清十郎の墓」がある




薬師堂

薬師井戸

行基堂(開山堂)

弁天堂

瑞泉堂
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