つづき・・・泉原から妙見山へ    

 
妙見街道 






(GooglMapで見る)


 京、摂津三島、北河内方面から能勢妙見山へ通じる街道で西国街道の芥川(高槻市)から分岐し、土室、塚原(いずれも高槻市)、桑ノ原、大岩を経て泉原で亀岡街道に合流。野間口で亀岡街道から別れ妙見山へ。
 
明治36年 「大阪府誌 第4編 道路」から
種類
名称
起點地名
経過地名
終點地名
里稱
二等補助里道
妙見街道
三島郡芥川村大字郡家國道第三號路線
三島郡芥川村、阿武野村、石河村、清渓村
三島郡清渓村大字泉原假定縣道亀岡街道
二里 一四町



郡家新町(高槻市)

起点 西国街道の現 郡家新町
角に三本の道標が並んでいる
西面「右 石川 見山 妙見道」
北面「右 芥川 山崎 京都、左 豊中 池田 神戸」
東面「此処芥川村郡家」
南面「明治四十三年六月建之 大阪府」
右 妙見道 是より五リ
(天保六年)
「右ハ妙見、すぐ惣持寺、すぐそうじ寺 道」

この日は朝から雪
間もなく今城塚古墳の外周
  (高槻市HP)

富田街道と交差 富田街道は茨木市目垣から北上し高槻市萩谷までを結ぶ街道



土室(はむろ)

闘鶏野(つげの)神社

参道は名神高速の上
神社の裏山には闘鶏山古墳がある

一群の石地蔵があるフェンスで囲まれた一角(土室)
名神高速を越える
「土室遺跡群」の説明板

(ほとんど読めない)
「阿武山のすそ野にあたる塚原から土室の地区は、500ちかくの古墳がある三島古墳群の中心に位置しています。・・・」(おそらく「高槻市教育委員会」)


「三島古墳群」(高槻市インターネット歴史館から)



塚原
西国街道の太田からの「塚原街道」(左手)が合流

ゴルフ練習賞場のなかも古墳だらけ
「塚原八十塚」

この辺りは地名のとおり塚原古墳群でかつては百数十基の古墳があった

(高槻市i教育委員会の説明板)
安威川へ下っていくと長ケ橋(おさがばし)

現在は新道ができ新長ケ橋ができているが旧橋も残されている
長ケ淵(安威川)
かつては深い淵があり地元の子供は橋から渕に飛び込んで遊んだとか
長ケ橋の北詰すぐ
左から「茨木街道支線」が合流


桑原(くわのはら)

桑原橋を渡る
「左妙見道」の道標
(桑原自治会館前)

「左 妙見道」
桑原集落を抜け 
竹藪の中を進むと
サニータウンの
広大な住宅地
かつて街道は西北方向へ山中を大岩へ抜けていたが住宅地開発により全くその痕跡を残していない


大岩、国見

大岩、国見の手前で清坂街道と合流、大岩で分岐するまでしばらく並行。
 国見の常夜燈
(1865年)

 正面 「常夜燈」
 右面 「往来安全」
 裏面 「能勢妙見 八大龍王」
 左面 「元治二丑歳四月建之」


妙見山や八大龍王を祀る龍王山への道中安全を願って建てられたものであろが、台座に「他力」とあるのも日本らしい

大岩の集落へ
大岩八幡神社の五輪塔

「高さ2.25メートルあって市内最大のもの」
「文安二年(1445)に勧進僧の勧めによって八万四千人もの人々の結縁によって建立された」

大岩八幡神社
妙見街道は左へ、清坂街道(右)との分岐 「右 あなう 左 さゝ山 道」 「八大龍王山 廿四丁」大正五年


赤才(あかんざい)
赤才へ
赤才の集落をはずれたところに千提寺と泉原への分岐がある
妙見街道は泉原へ
その分岐点に石灯籠が建つ

正面に「妙見大士」とある(天保三(1832)年)
一町田(ひとまつた)

妙見山の石の鳥居
鳥居からしばらく行ったところで分岐があり中央に自然石の道標がある


この道標からは右が妙見山となり、近道である(が左の泉原方向へ進む)


明治25年に亀岡街道の現在のルートが開鑿されるまでは清坂街道大岩からここの右の道を通り旧多留見峠を越えたのではないか
「右 妙見山、左いづわ(王)ら 道」
やがて泉原が見えてくる

亀岡街道に出る手前に石灯籠が建つ
     正面 「大峯 為三十三度供養 右妙見 左泉原」
     裏面 「文政四辛巳年秋七月日 千提寺村 一坪寄進」
泉原で亀岡街道に合流

妙見街道の終点

妙見山2(泉原から妙見山)へ



 
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