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中高野街道1


守口

京街道文禄堤(守口市本町)


 街道案内板(守口市)
京街道から十三夜坂(左)を下っていく道が中高野街道
(守口から平野までは、時代によっては「放出街道」といわれた)

寺内町にある常夜燈形の道標「すぐ大坂 右世木」(大正6年)


式内「高瀬神社」
「この神社は、延喜五年(905)から延長五年(927)にかけ作成された延喜式神名帳に記載されている由緒ある古社であります。祭神は天御中主命で、旧の世木・馬場村の氏神であります。天正年間(1573〜92)に織田・三好の兵火で焼かれたものの、その後再建され」、江戸中期頃に建てられたのが現在の社殿であります。江戸時代には、神殿その他すべて備わった大社で八幡宮とも呼ばれていました。また、平安時代この付近には高瀬川が流れており、この高瀬川は古歌にも歌われ、特に『高瀬の里』『高瀬の淀』は有名な歌枕となりました。現在南側のロータリーに「高瀬川跡」碑が建てられています。」(守口市教育委員会)
高瀬川跡
「この高瀬川には僧行基が架けたといわれている橋があり橋の遺物と思われる杭の石柱が出土したことから、相当大きな川で、かつては淀川の本流であったといわれています。」(守口市案内板)
護念寺(真宗大谷派)守口市高瀬町





大阪市旭区〜鶴見区

鶴見緑地へ

街道は内環状線(府道479)と鶴見緑地の間を南北に通る
花博記念公園 いのちの塔
平成2年(1990年)に国際花と緑の博覧会(花の万博)が開催された跡地
鶴見通(地下鉄鶴見緑地線)を越えると街道は左折し下辻(現鶴見3丁目)の中に入っていく
旧古堤街道との辻
寝屋川を放出大橋で渡る
旧道は少し下流で寝屋川に突き当たるのでこの橋まで迂回
旧道の対岸の放出東
公園の中に昭和3年に建てられた寝屋川改修記念碑がある
元は放出大橋付近にあったもの
正因寺(鶴見区放出東1)前に建つ中高野街道の石柱と案内板(大阪市教育委員会)
放出東1丁目付近の町並み
阿遅速雄神社(放出東3)
式内社の古い社。伝えによると、天智(てんじ)天皇7年(668)、熱田(あつた)神宮に祭る草薙剣(くさなぎのつるぎ)を盗んだ者がおり、当地まで逃れてきたが大嵐にあい、恐れてそのまま放置して逃走、土地の人が当社に祭り、その後熱田神宮に奉還したという

阿遅速雄神社境内にある道標
元は放出街道と野田街道の交差点に建っていたが、現在は 阿遅速雄神社内で保存されている。天保15年(1844)、先達の元七が発願し若中が奉賛したもの。

 境内(正面鳥居右側)にお蔭灯篭(慶応4年(1868))
江戸時代、ほぼ60年周期で爆発的に流行した、伊勢参宮お蔭参りがあった。これに因み、街道筋には献灯されることが多かった。この1基は、現在市内にただ一つ残るものである。(大阪市教育委員会)


城東区・東成区・東大阪市

阿遅速雄神社を過ぎ、街道はJR学園都市線の踏切を越え、第2寝屋川を渡る
第2寝屋川を渡る古大和橋
長瀬川を渡ると街道を境にして東側が東大阪市(河内国)、西側が大阪市城東区→東成区(摂津国)となる。
諏訪神社(城東区諏訪2)
諏訪神社境内「明治2年5月官軍攻五稜郭此其所用巨砲之一」
聖源寺ゆかりの石碑(東大阪市高井田西1)
念唱寺の北西角にある聖源寺の「南無妙法蓮華経」石碑
側面に「東足代村、聖源寺享保12年(1722年)」とあり、およそ400年前に建てられ、明治時代に廃寺となった聖源寺の石碑
念唱寺南側にあるこの公園は明治五年まで西高井田の村社「八幡神社」が祀られていた。
この西側の道は、摂津国(大阪市東成区深江)と河内国(東大阪市高井田)の国境
平安時代の「日本略記」に「大同元年(806年)10月に河内国と攝津両国堤を定める。」とあり、このとき定められた国堤の名残と思われる。(東大阪市教育委員会案内板)
府道今里枚岡線(奈良街道新道)を越えると布施商店街「ブランドーリふせ」
暗越奈良街道との辻
商店街が中高野街道
深江稲荷神社
旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建
笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、境内が「笠縫邑跡」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、市から史跡に指定されている(東成区ホームページ)

       


法明寺
  
文保2年(1318)融通大念仏宗中興の祖、法明上人の開基で、境内に「雁塚」と呼ばれる二基の石塔がある


法明寺境内にある「雁塚」