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中高野街道2

布施(東大阪市)

布施南部商店街
戦後闇市から発展した商店街
足代安産地蔵菩薩
永禄五年(1562)の刻銘があり東大阪市指定有形文化財
都留弥(つるみ)神社が明治40年に移転した跡に昭和29年今宮戎神社から戎大神を勧請したもの
商店街を突き当たり街道は西へ向かい生野区小路に入る


大阪市生野区

小路村役場跡

「河内平野西部の一角にあった小路村は、西北部に片江、西南部に中川、中央部に大友、東北部に腹見の四大字に分かれており、小路の地名は、腹見(原見)にあった天武天皇が通ったとされる小路に起因していると思われます。
 その後、昭和18(1943)年に大阪市に編入されるまでここに小路村役場がありました。現在は役場あとの碑はありませんが、小路耕地整理の記念碑、片江村の宮跡碑、春高稲荷社蹟碑が建てられています。」(生野区ホームページから)

小路2丁目で南に向かう
釈翠岩さんの墓と頌徳碑(生野区中川東2-7)
江戸時代中期享保年間この中川地区に翠岩さんという人がおられ慈善心が強く私財を投じて道をつくり橋を架けた。その頌徳碑
俊徳街道との辻(生野区巽北1)
巽中(旧西足代村内)の道標「右大阪」
加美巽川を渡る下足代橋


巽東(旧矢柄村)の道標「左大坂」「右信貴山」

法泉寺の南の角にある道標「右大坂」左信貴山」(天保四年)
旧巽村役場跡

明治22(1889)年に町村制が施行されたとき、矢柄村・伊賀ヶ村・西足代村・四条村・大地村の5つの村が合併し、大阪城から見て、巽(東南)の方角に当たるところから「巽村」となった。昭和三十年四月大阪市に合併されるまで役場があった

真宗大谷派円徳寺(巽中4)旧大地村
長享2年(1488)開創
巽神社

「社伝によれば、巽神社は応神天皇を奉り旧河内国渋川郡大地(おおぢ)村にあり、八幡(はちまん)神社といわれていました。創建年代は明らかではありませんが、平安時代に編纂された和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)巻の六にも河内国澁川郡に邑智(おおち)とあるほか、竹淵(たかふち)、餘戸、跡部(あとべ)、賀美(かみ)、と集落があり、氏神を祀る風習から既に神社が祀られていたようです。明治40(1907)年4月、大地「横野神社」、伊賀ヶ字伊賀ヶ「天神社」、西足代字葭の内「天照皇大神社」、矢柄字宮の前「熊野神社」、四条字山小路「天神社」の五社を合祀、村の名をとって巽神社と改称しました。」(生野区ホームページから)

巽神社から街道は南下し、まもなく平野区加美に入る

大阪市平野区

加美北6付近
平野川に沿って進む
旭神社(加美正覚寺1)
「古来から治水雨乞いの神として信仰を集め、祈雨祈願所として知られた。淀城主稲葉丹後守正益が寛延2年(1749年)に奉納した灯籠二基が現存し、また境内には樹齢600年以上のくす、いちょう、むくの木など天然記念物に指定された古樹がある。祭神は素盞鳴尊で、創建の年月は明らかでないが、縁起により天平5年(733年)頃と推測される。」(平野区ホームページから)
 JR大和路線を越え平野川を渡る
平野
河骨池口地蔵 平野環濠跡(杭全神社内) 杭全神社
塩伊前の中高野街道と奈良(大坂)街道を示す道標
「右 ふじい寺、大峯山上、かうや山」
「すぐ 天王寺、大さか」
「當社 熊野権現、祇園宮」
「右 大坂」(寛政十二年)
「塩伊」の福助人形
大念仏寺 道標「左 ふぢゐ寺 かしわら道」 南海平野線跡(昭和55年廃線)
堺口地蔵(平野郷十三口の一つ)
(平野環濠都市遺跡顕彰会解説板)
本町商店街(樋尻門筋)にある道標 「小林新聞舗」明治22年創業の大阪市内で一番古い新聞販売店(建物は昭和3年)
全興寺平野区説明板
全興寺ホームページ
全興寺境内にある道標 境内にある地獄堂
樋尻口地蔵 赤留比売命神社
赤留比売命は新羅から来た女神で天之日矛の妻
平野公園内にある環濠跡
田畑門筋と市門筋との辻の道標 中高野街道は流門筋 流口地蔵を過ぎ街道は南へ