福田~山本

中茶屋・草尾を過ぎ国道310号線を横切って進む
堺市中区福田  
直進が旧西高野街道。左の道は明治時代の新西高野街道
「左西高野街道 長野 高野」「右天野山」
明治38年の道標が折れた跡に新しく建てられた道標
しばらくは田園風景が続く
堺市中区陶器北
地蔵型道標「左さやまよしの道」元文元年(大阪狭山市山本中)





陶器北の辻の地蔵
右が堺から来た西高野街道
街道沿いの稲荷社と地蔵堂
(大阪狭山市山本南)



岩室(大阪狭山市)

高野山女人堂十一里石
(大阪狭山市岩室)
岩室
「はいから村」で中断されているが下高野街道との合流点?
「左かうや山十里 右 あまの山二里」(大阪狭山市今熊7) 地蔵も道標を兼ねている
西高野街道は直進、右へ行くと天野街道で女人高野と呼ばれた天野山金剛寺へ





茱萸木(大阪狭山市)
街道はおわり坂を下り三津屋川へ
三津屋川を渡る
ここが下高野街道との合流点?
三津屋地蔵
帝塚山学院のふもとに沿って進む旧街道
高野山女人堂十里
新街道に合流(茱萸木2)
西除川の天野橋を渡ると河内長野市に入る



松ヶ丘・楠町・木戸西町・原町・本町(河内長野市)
松ヶ丘中町の道標
「右上神谷妙見山二十七丁」、「右長野」(大正二年)

上神谷(にわだに)妙見山は堺市南区の感応寺のこと
楠町辺りの町並み
中高野街道との合流点(楠町東)
左が西高野街道、右が中高野街道

「右平野迄四里、左さかい大坂」
(天保七年)
「右ハ平野道」、「堺大坂道」
木戸町へ下っていく 平安時代中期、陰陽家、安倍晴明が天文学の書を埋めた跡とか(原町)
山中製瓦所
原は瓦作りでも有名であったらしい
国道170号線(外環状線)を越えてすぐ左手にある自然石の道標
「右さかい大坂」、「左まきのを」
(嘉永元年)

その近くの右側の道標
「右かうや」、「左ふじゐ寺」

(原町6)






「高野山女人堂九里」


「右中本山極楽寺、左さかい四里大坂七里」
「(指差し) 高野」
河内長野市本町で東高野街道と合流し西高野街道は終点となる

この先「高野街道」として高野山まで至る



高野山へ続く