能勢街道2 能勢街道3 能勢街道4





能勢街道1
中津〜豊中市





中津

高麗橋を起点とした中国街道は中津一丁目で左折して行くが直進するのが能勢街道となる

大淀署を過ぎたところ(西成郡中津村大字下三番)が能勢街道の起点

元萩之橋碑
富島神社
北区中津2
新淀川
明治31年4月起工
中津川流路を利用し土砂を浚渫し護岸堤防を築き新たに大水路を開削したもの
十三大橋を迂回







十三
神津神社
(十三東2)
天正年間(1573〜1592年)創建された神社
戦後勧請した十三戎は、発音がトミ(富)に通じるところから商店街の神様として、大変な人気がある(淀川区HPから)
神津神社境内にある道標

「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2年)

(小)「小島村宮稲荷社是より左へ、すぐハみのを多田のせ」

淀川右岸
このあたりが新淀川開削前の旧中津川を渡った付近にあたるのか
正通院j付近
「能勢街道」案内板(大阪市)
木川西1丁目
阪急京都線の「能勢街道踏切」を越える

アケミ幼稚園付近
(野中南1)

中島大水道跡
延宝6年(1678年)に幕府の許可なく3人の庄屋が工事を強行し幕府に対して抗議の自決をした


野中南1

JR北方貨物線能勢街道踏切 阪急三国駅を越え三国橋手前で蒲田街道が東へと分かれて行く

蒲田街道
能勢街道蒲田(現西三国)を起点とし薬師堂で亀岡街道に合流する
薬師堂は明治の淀川改修により水没、現在の長柄橋付近
三国橋を渡る


三国橋南詰にある大阪市の案内板







豊中市
三国橋を渡り豊中市に入る しばらくは天竺川沿いに進み庄内東町3で天竺川から左に別れていく

川の右手に住吉神社がある

長嶋住吉神社西の天竺川堤にある道標
「右勝尾寺、三十三、左みのをせ川」
(向きは反対?)
稲津町付近の町並み

服部天神宮
足の神様として崇敬を集め能勢街道の宿場としても境内外は非常な賑わいを呈し旅篭料亭茶店が軒を連ねていた
藤井寺
(城山町2)
本門法華宗

能勢街道と吹田街道との分岐にあったという常夜燈の道標

現在は豊島小学校内に移設されている
能勢妙見宮常夜燈
「右京茨木、左池田」
文政四年(1821)

能勢街道と箕面街道の分岐に立つ道標(長興寺南)
「右みのを 勝尾寺山こへ道」「左池田道」

箕面街道は後に起点が新免(豊中市本町)に変更
桜塚古墳群


南天平塚古墳
5世紀後半の円墳で元は直径24mあったが、土地区画整理で3/4が削られている

御獅子塚古墳
全長55mの前方後円墳
原田神社
天武天皇(672〜686)の時代に創建され、中世には豊島郡榎阪村から川辺郡富松村まで72ヵ村の産土神であった(社伝)
桜塚古墳群の中心にある

阪急豊中駅前
(本町1)
能勢街道は左へ
市軸稲荷神社
(刀根山2)


市軸神社西側の坂道を進むと元皿池(現在の刀根山公園)に突き当たり、道標が立つ
「存覺上人御舊蹟 (東面)刀根山御坊是より一町」

「左妙見道 池田」
(寛政三年)
麻田藩陣屋門
(刀根山元町)

麻田藩(青木氏)陣屋(現蛍池中町3丁目)にあったいずれかの門が明治維新にこの地に移築されたもの

中国道(高速道路)建設に伴い付近の地蔵がここに集められ祀られている(刀根山元町北会館前)
お堂の中の地蔵尊の台座は「右大坂、左桜井」
手前の花立型の道標もここに移設されたもの


「右大坂道 左刀祢山御坊(慶応三年1867年)
刀根山元町北会館から少し南にある「札場跡」碑

中国道豊中IC付近で交差する 高速道の歩道橋を渡り金坂池の横から街道に入る




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