恩智街道(おんぢかいどう)
 

   
「恩智街道 中河内郡龍華村安中に於ける八尾停車場の地界に起り、同郡八尾村及び曙川村を過ぎ南高安村大字恩智に於いて東高野街道に接續せり。延長三十三町十八間にして幅員約八尺。舊時は往来希少にして一部開村の里道に過ぎざりしが、八尾停車場の開設せられてより頓にその頻繁を加へ、且、信貴山に至るものは皆本道に據るを捷路とせるを以って、荷車旅客の交通少からず。地勢の大体は、多少屈曲ありと雖左右田野に属せるを以って概して平坦あり。」(明治36年大阪府誌から)

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八尾駅(JR関西本線)

恩智街道の起点
長瀬川

大和川の旧本流
この辺りの街道はJRとの間に長瀬川を挟み平行してしく
安中診療所前

八尾街道との辻

角の老人福祉センター前に明治45年大阪府が建てた道標が立つ
(辻の東側から移設)

八尾市教育委員会による説明板

「すぐ柏原」
「すぐ恩智 信貴山 右柏原」
「すぐ八尾」
「明治四十五年三月建設」


街道は東へ向かう

近づいてくるのは高安山

八尾木

刑部(おさかべ)
御劔神社
(神社案内板から)
御劔神社のしるべ
 
此の地、古くは河内國若江郡刑部郷と言い訓を聞けば刑部は、備中國賀夜郡、伊勢國三重郡等の刑部郷の例により於佐加倍と読むべしと伝えられその遺構であると言われている。

 第十九代允恭天皇が皇后の忍坂大中女命の御名代として定められた民部であり、 御名代部として奉仕した後にこのオサカベの民部が刑部(ウタエ)の職に奉仕したので、記紀では刑部とされている。 ウタエは法務の職に仕え此の地に刑部が置かれたと伝えられている物部氏の始祖とされる饒速日命の子宇麻志治命より数えて十一世孫にあたる物部石持連刑部氏が、この地を統治していたと言われ、物部氏族であります。大和朝廷が律令国家へ移行する中で氏姓制度が確立し社会のしくみが変わり刑部氏は紀元六百八十三年第四十代天武天皇のとき凡川内直、錦織造らと共に連の姓を賜り刑部造となり朝廷に奉仕している。

 この刑部造に仕える部民が形成した村が刑部村となり刑部郷へと地域が広がっていき、村民の延命、繁昌が祈願され神々崇拝がたかまりその後神社らしきものが生まれたとされこれが御劔神社の始まりと伝えられ、約千二百年前と推定されている。

 崇拝する神々すなわち祭神は、素盞鳴命、天穂日尊の二柱神である。素盞鳴命は天照大神の弟神であり、出雲大社祭神大国主命の祖父神である。又、古事記、日本書紀にも明らかで、式勇に秀でた神であり、天照大神の天の岩戸隠れの神話、或いは、出雲の国の肥の川上流における山岐の天蛇(ヤマタノオロチ)退治により、天叢雲劔(アメノムラクモノツルギ)を得て、天照大神に献上した神話等、 数多く残されている。この天叢雲劔は、第十二代景行天皇の皇子日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)の蝦夷征伐に際し、焼津の原に於いて、賊軍の大攻に遭い、草を薙ぎたて難を免れそれを草薙劔(クサナギノツルギ)と言うようになった。現在熱田神宮の神宝として、又天皇の即位に際し、三種の神器として、未来永久に伝承をされるものである。
 天穂日尊は、天照大神と素盞鳴命と誓約(ウケイ)によって生まれた五男柱神の一柱で天孫降臨に先立ち、大国主命(オオクニヌシノミコト)との間で国譲の大業を成し遂げた男神である。この様な偉大な神々を御祭神としている。

又河内式内五社の一社として言い伝えられて来た神社であります。枚岡神社、恩智神社、由義神社、弓削神社、御劔神社の五社で、河内住民の信仰の中心として存在しております式内社とは、平安時代初期、延喜のとき(紀元九百五年頃)第六十代醍醐天皇が律令制度の整備に際し、小野道風、藤原忠平を宮中に招き延喜式を編集し全国の神社を神名帳に登録しこれを延喜式とされた。

 当社は式内社としての記録が残されていないが五社の中に列せられている事は、この優れた格式が他の四社と同様に勝るとも劣らぬものと判断しても決して錯誤とは思えないものであり、之の言い伝えに益々自信を深めるところである。

参考文献 日本書紀、古事記、続日本紀、新撰姓氏録右京諸蕃下、新撰姓氏録河内国諸蕃、和名抄、旧事本紀、中河内郡誌、近畿大観、八尾編年史(古代)」


柏村稲荷
 大和川の付替(1704)後、旧川床に24町歩の新田を開墾した太田村の柏原仁兵衛を偲び柏村新田と称えられている。
起工にあたり仁兵衛が伏見稲荷神社の御分霊を勧請したもの(「柏村稲荷神社由来」から)

ここから街道はしばらく玉串川沿いに南下
柏村橋
外環状線(国道170)を越えしばらく行くと近鉄恩智駅方向へ左折


母木橋で恩智川を渡る
天王の森

恩智神社のお旅所があり、この付近一帯は府下でも有名な弥生時代の遺跡
恩智
恩智神社の鳥居の手前で東高野街道と交差

恩智街道はここまで

東高野街道との辻の東南角に2基の道標
大きい道標
「右恩智街道八尾停車場」、「東高野街道 右道明寺柏原、左ひょうたん山四条畷」、「大阪府」
小さい道標
「東 信貴山、西 大坂」、「南 高野山、北 平岡 京 道」、「明治六酉四月建之」

恩智神社鳥居
 

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