西国街道 1 (京都 東寺〜向日町)


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西国街道の起点付近
京都東寺




教王護国寺 (東寺)
真言宗の総本山。794年(延暦13)の平安京造営に際し、その2年後、国家鎮護のため羅城門の東に創建。823年(弘仁14)空海(弘法大師)に下賜された

羅城門跡
794年(延暦13)に建設した
平安京の南端正門
この辺りにはかつて豊臣秀吉が築いた「御土居」があり、その出入口といわれる「京の七口」のひとつである「東寺口・鳥羽口」があった。ここでいう「西国街道」の起点をこの「東寺口」としておきます。
矢取地蔵
旧千本通の正面(京街道の終点)
平安時代初期。  日照りが続き、草木は枯れ果て、人々は渇き飢えていたときのことでした。当時の天皇は大いに憂い、神泉苑(現中京区)にて、西寺の守敏と東寺の空海(弘法大師)に雨乞いを命じた。これがいわゆる「雨乞い合戦」といわれるもので、軍配は空海に上がった。  その後、敗れた守敏は空海をねたみ、待ち伏せして矢を放ったところ、黒衣の僧が身代わりとなってその矢を受け、空海は難を逃れた。 その黒衣の僧は、実は地蔵で、いつしか、矢取地蔵と呼ばれるようになった(矢負地蔵由来記)
正面右手の道標
「右 やなぎ谷観世音菩薩」
「左 やわた八幡宮 往来安全」
「嘉永七年秋」


日向地蔵尊
(南区吉祥院 久世橋の手前)

久世橋の手前 

桂川の堤防へあがる
正面の一番高い山が愛宕山
久世橋の手前にある
愛宕神社の常夜燈





桂川を渡る久世橋

久世橋を渡り堤から下へ降りて行く
ところにある道標
「右 西国街道」、
「左 字築山五町」
(大正六年十二月)
国道171号線を越えたあたり


阪急の東向日駅の踏切を越えてすぐ 「右 西山上人御廟道」
西国街道は左

寺戸町梅ノ木にある四本の道標
左端の小型の道標
「右 灰方 地蔵 ・・・」
左から二つ目
「ほうぼだい院観世音西三丁」
三つ目
「桓武天皇・・・」
右端
「官幣中社大原野神社」

愛宕大権現の常夜燈

須田家(寺戸町西ノ段)
明治30年代まで醤油の製造販売を営んでいた旧家。西国街道と愛宕道の分岐点にあり、元和2年(1616)に作成された古文書にも記載されており、京都府の指定文化財(建造物)となっている


向日神社
社伝によると奈良時代・養老2年(718)の創建と伝えられている

本殿は、應永25年(1418)に建造されたもので、室町時代の建築様式の『三間社流造』といい、国の重要文化財にも指定されてい
石塔寺
一文橋
向日市と長岡京市の市境、西国街道が小畑川を渡る地点に架かる橋。何度も洪水により橋が流されたため、通行人から一文づつを徴収して橋の架け替えの費用にあてたという伝承がある


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