西国街道7(池田〜伊丹)


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池田


瀬川(箕面市)から石橋(池田市)へ
阪急箕面線・国道171号線を越える

国道176号線を渡る



阪急宝塚線の地下道手前、能勢街道との角にある道標
「右西宮 左大坂」、「すぐ大坂京 左いけだ」、「右妙見 すぐ西宮」





阪急宝塚線を越える(石橋駅手前)

亀の森住吉神社
http://www10.ocn.ne.jp/
~kamemori/index.htm
真宗大谷派 順正寺




十二神社境内の防空壕

十二神社

弁慶の泉
(池田市豊島南二丁目 旧171号線沿い)
その昔、源 頼朝に追われた義経一行が戦いで渇いた咽をうるおしたといわれている

伊丹

箕面川を渡ると街道は国道171号線に合流し伊丹市下河原に入る。

浄土真宗本願寺派浄源寺(伊丹市下河原)

境内のイチョウにはキリ、ムクノキが寄生し、伊丹市の天然記念物に指定されている。はるか遠方からも望まれ参勤交代で江戸に向かう際の一里塚的存在であったといわれている。(境内の案内板)

下河原の浄源寺から軍行橋までの道沿いには伊丹市都市景観形成建築物に指定された入江家住宅・中村家住宅などが並んでいる

伊丹空港
「エア・フロント・オアシス下河原」から




猪名川へ注ぐ江原川

 猪名川堤にある猿丸太夫句碑
「しながとり ゐな山ゆすり行みつの なのみきにいりて こひわたるかな」



猪名川を渡る国道171号線の軍行橋
明治にこの橋が架けられるまで渡し舟はなく120間(216m)
の猪名川を徒歩で渡っていた

猪名川を渡ったところ「軍行橋水位流量観測所」のとなりにある
右端の自然石「芭蕉碑」
中央は「新建石橋碑
左は寛政六年(1794)「大乗妙典日本廻国供養塔
江戸時代の日本は66ヶ国に分かれ、それらの国々の霊場への巡礼をなしとげた記念に建てたものと思われる

自然石に「芭蕉翁あゆみの地」とある
松尾芭蕉が笈の小文の旅で兵庫から京都に帰る際西国街道を東進この地を元禄元年四月二十二日に通過したとのことである。依って記念のため此処に建碑する。」(伊丹市教育委員会)



辻の碑(摂津の国の中心)
「西国街道と多田街道とが交差する、いわゆる「辻」といわれた場所で、そこに置かれた道標が「辻の碑(つじのいしぶみ)」です。碑は自然石に銘文を刻んだもので、高さ92cm、幅76cm、鋭角な部分を上にして据えられています。現在では下部が大きく剥がれ落ちていますが、上部に1行「従東寺拾里」が読み取れます。
「摂津名所図会」(1798年刊行)には、「従東寺十里(東寺とは、京都教王護国寺のこと)。従関戸七里(関戸とは、山城との国境大山崎関戸院のこと)。従須磨七里(須磨とは、今の神戸市須磨のこと)。従天王七里(天王とは、今の三田市母子天王嶺のこと)。従大小路七里(大小路とは、和泉との国境、今の堺市大小路町のこと)。」(伊丹市教育委員会案内板)




多田神社への道標
「従是多田御社江 一里半」
元禄14年





伊丹坂
伊丹段丘を登る

伊丹緑地のある崖地は猪名川の河岸段丘として形成された


伝和泉式部の墓
伊丹坂から南へ入ったところ
鎌倉時代後期の様式を示し、五輪塔の「火輪」「地輪」を除く「塔身」「請花」「宝珠」だけが現存している

伊丹郷町を歩く