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下高野街道 1


天王寺区

中門 四天王寺
聖徳太子が推古天皇元年(593)に建立
四天王寺ホームページ
亀の池
ここもアカミミ亀に占領されている
熊野権現礼拝石と南大門
南大門を出て街道は南へ向かう
この辺りから田辺にかけては「庚申街道」とも呼ばれている



百度石の先の三猿
庚申堂
「42代文武天皇のとき疫病が大流行した。この時四天王寺の僧豪範が庵を結び一心に仏の加護を祈ったところ、大宝元年(701)正月7日庚申の日に青面金剛童子の像を授かり、これを安置してお祀りしたところ疫病が治まったといわれ、以後60日ごとの庚申の日は参詣の人でにぎわう。特に正月の庚申さんは有名。 この庚申堂東側の道(四天王寺南門〜西田辺あたりまで)を庚申街道といい、摂津名所図会にも記述されている谷の清水がある。」(天王寺区ホームぺジから引用)

谷の清水(清水の井戸)
西南方の崖
「天明9年(1789)の「摂州大阪地図」に本清水としてこの井戸の所在が示され「摂津名所図会」には谷の清水、庚申堂の南一丁ばかりあり。清泉にして甘味あり、四天王寺名水のその一つなりというと出ている。
この地の旧字名、清水はこの井戸から出た名であって今一般には清水の井戸と呼ばれている。
この清水の元井戸は西南方崖上にある。噴井でその湧水を土管を地下に通して導き戦後冷房用の地下水のため水がとまってしまった。
清水地蔵尊はいつごろつくられたか不明であるが明治32年と明治43年両度の清水改築記念碑がたっている。」(地蔵尊の駒札から)



「これより右たなべはうらくじみち」
田辺の法楽寺を示す道標
北河堀町の五つ辻に建つ道標




上の道標から南へすぐのところにある地蔵堂
向かって左側の道標型地蔵で「右かうやさん、左ふじい(でら)」 藤井寺へは平野経由の奈良街道



玉造筋との角(西下胃腸病院前)の道標
「右 かうや」(安政四年)
JR天王寺駅に突き当たり右手の地下道を通る





阿倍野区


西光寺
JR天王寺駅を越え、また近鉄大阪阿部野橋駅を越える。エスカレーター付街道




阿倍寺跡推定地
(阿倍野区松崎町3)
大阪市立工芸高等学校本館
「大正12年(1923)4月に開校し、翌13年(1924)校舎の完成と共に現在地に移転した。・・・このような重厚でロマンあふれる建築様式は、アールヌーボーと総称されわが国には類例が少ない。」(玄関横の解説板)



文の里2丁目付近





桃ケ池公園
古くから脛ケ池・百ケ池・股ケ池と呼ばれ、廃川となった猫間川につながっていたといわれている。