高槻街道支線その1


高槻街道支線(つづき)

 高槻街道支線 その2

(高槻市柱本〜高槻市土橋)



柱本
柱本(高槻市)に入る

街道はなお淀川堤上
「くらわんか舟発祥地」の石碑

くらわんか船は枚方が有名ですが、発祥はここ柱本のようです

「昔から、淀川は大阪と京都を結ぶ交通の大動脈として、多くの舟が上下していましたが、大坂夏の陣(1615年)のときに徳川方に協力した功によって、淀川を上下する舟に、食物を売る特権を与えられたのがくらわんか舟で、後に、地の利によって、枚方の方が反映したようです。
発祥の地は、ここ高槻市柱本といわれ、「柱本茶船記録」に書き残されています。」(淀川改修百年記念事業により設置)
柱本集落内

左手に法光寺、突き当たり正面は「興楽寺」の山門
中牧山 法光寺

境内にある「由来」によれば
文明七年(1475)蓮如上人が直弟子空善坊を開基としてこの地に三井寺から萬徳院を移設したもの

かつて「八房の梅」があり有名であったとのこと
浄土宗
 抜苦山 興楽寺(柱本3)
  天平五年(733年)行基開基の畿内四十九寺院の一つ

 
境内の興楽寺縁起
柱本集落の入口にあたる辺りの角に二基の石柱があり、法光寺の「八房之梅」を示している

縦長の方
正面 「蓮如上人御舊跡 八房之梅」
左面 「左 乳うし田(?) いは(者)らき(幾)○」(無理やり読んでみましたがよく判りません)
右面 「中牧山 法光寺」

低い方
正面に「南無観世音菩薩」、台石に「十一面尊」とあり供養塔と思われる



三島江
柱本を過ぎ堤上をしばらく進むと三島江


「歌枕の里 三島江」(高槻市教育委員会)
かつて三島江には河港があり、「三島江浜」と呼ばれた
堤防下にかつての浜から移設された神峰山寺を示す道標と妙見燈籠がある

「(台座に「右」) 神峰山寺毘沙門天道 此所三島江村ふねあがり場 是より二里半」、「享和元年辛酉十月 発願主大坂○○○」、「左妙見 世話人○○・・・」(1801年)

またここは茨木から来た「馬街道」の終点
三島鴨神社

境内の高槻市教育委員会による説明板から

「三島鴨神社は、鴨事代主神、大山祇大神、此花咲耶姫大神を祭神とする。
創建の年月は不詳であるが、社伝によれば、伊予(愛媛県)、伊豆(静岡県)の三島と共に「三三島」と称せられた。
 もとは、淀川の川中島にあったというが、慶長三年(1589)の堤防修築の際に、現在地へ移ったといわれる。
 明治四十一年(1908)に、周辺んお唐崎神社や天満社、八幡神社等を合祀、秋季祭礼には、高張提灯を持った昔ながらの宮入が、今も行われている。
一帯は、樟や榎などが生い茂って樹林保護地区に指定され、のどかな景観をたもっている。 
高槻市教育委員会」
三島江から唐崎へ向かう


唐崎
三島江と唐崎の間の堤上に築堤と修堤の記念碑
築堤碑
慶応4年(1868=明治元年)5月の長雨で唐崎弥右ヱ門屋敷堤防が309mにわたり決壊し流域165か村に被害がでた。築堤工事は10月に完了。これを顕彰するため記念碑が建立された。(高槻市教育委員会説明板から)
修堤碑
明治18年(1885)6月〜7月の大雨で淀川左岸(枚方側)で各所の堤防が決壊。これを契機に右岸でも修堤工事に着手し、よく19年3月に完了。(高槻市教育委員会説明板から)
芥川が淀川に合流する地点は明治41〜42年の改修により上流に移っているが、かつてはここが合流地点の入り江で「唐崎浜」として栄えていた


「唐崎過書浜跡」(高槻市教育委員会の説明板から)
唐崎中2で茨木街道と交叉
唐崎の集落を抜け新幹線の高架下を越えるとやがて芥川の堤に



芝生(しぼう・しぼ)

番田井路
芝生大樋を通過した水がここから約12Kmの間、番田井路を通り神崎川に排水されている

芥川左岸の低湿地の排水のため承応2年(1653)高槻藩により芥川の下を1.6m四方の木管で伏越し、その後幾度かの改修を経て最近では平成3年(1935)新大樋の完成によりかつての番田大樋(左岸)、芝生大樋(右岸)は記念碑として保存されている。これは大樋の出口側にあたる芝生大樋の銘板。
芥川堤上から見た芝生の集落
次郎四郎橋を渡り芥川左岸へ

ここから右岸沿いに道祖本街道が分岐
次郎四郎橋から見た芥川上流


下田部(しもたなべ)
芥川左岸堤から右手へ別れ下田部へ

下田部高札場


道しるべ石
「右 大坂」、「左 高川(つ)き京ミち」

下田部高札場と道しるべ石(高槻市教育委員会の説明板)


一念寺

下田部
北へ向かう
土橋で高槻街道に合流し終点となる

この付近、高槻城下の六口のうち「大坂口」にあたる

※高槻六口…京口、大坂口、富田口、芥川口、大塚口

高槻街道支線終り