高槻街道




 明治以前は大阪高麗橋を基点とし吹田、茨木を経て高槻城下から西国街道へ至る道を高槻街道と称したようであるが、明治に入り茨木市宇野辺から高槻市安満の西国街道接続地までが「高槻街道」とされた。
 高麗橋から宇野辺を経て亀岡に至る道は「亀岡街道」となった。
から
宇野辺(茨木市)で亀岡街道から分岐


亀岡街道(手前)から高槻街道分岐(茨木市宇野辺)

道標「←亀岡街道、→高槻街道」

JR京都線をくぐる
中央環状線を越えた奈良町付近 ty

下中条(茨木市)
中条図書館付近
元茨木川に架かる「高橋」
正面は茨木神社
高橋の西南隅にある道標「右茨木停車場、左大阪 
距 高麗橋減元標 四里二十四丁拾間
茨木神社
茨木神社公式サイト

茨木神社東門から東へ(元町)
本町の道標(裏面は壁に塗りこめられ不明)
「右 京 八幡 三島江 唐崎 富田 高槻 、
左 妙見山亀山中山勝尾寺」
枝切街道(茨木街道支線)との分岐
竹橋町で茨木街道(右)と高槻街道(正面)に分かれる
かつてはこの角に道標があり、「右 からさき みしまへ道 左 京 そうじ寺」
戸伏
安威川を渡る千歳橋
「いしがんどう」または、「せきかんとう」とも呼ばれる
 敢当とは、無敵を意味する言葉
石敢當は道に設置される魔よけ

富田町(高槻市)
富田(高槻市)
  富田 普門寺手前の道標(天保四年)
(正面)「右 京山崎高つき芥川 左 能勢妙見 かふさん道」
(右面)「左 大阪 尼崎 いばらき すぐ そうじ寺 道」
(左面)「右 大阪 みしまへ道」
 
普門寺
臨済宗妙心寺派禅刹で、創建は古く南北朝末期の明徳元年
(1390年)にさかのぼる

三輪神社
清鶴酒造の酒蔵
「左 高つき 芥川 京 右 いばらき 吹田」(天保六年)
「右 からさきみち 左 たかつきみち 南無妙法蓮華経」
津之江(芥川手前)

芥川を城西橋で渡る
庄所にある道標
 
高西

土橋町
高槻城跡公園内の歴史民族資料館
工兵第四聯隊跡
明治42年〜昭和20年まで存在した兵舎の営門が
このあたりにあり、兵舎は かつて学校の校舎として
使われていた
高山右近の像