右 まきのを
□道祖神守護
左 かうや
嘉永7(1954)年
              

 
滝畑街道 
河内長野から妙寺




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和泉山脈の峠越え街道の一つ。
河内長野(大阪府)と妙寺(和歌山県)を結び、東の紀見峠を越える高野街道と西の鍋谷峠を越える父鬼街道の中間で蔵王峠を越える街道。石川(柏原で大和川に合流)に沿って溯り、途中に滝畑ダムがある。
滝畑ダムは昭和57年に完成、当時の街道は滝畑村とともにダム湖の底に。


府道218号河内長野かつらぎ線(滝畑から妙寺までは「大阪府道・和歌山県道61号堺かつらぎ線」と重複)に沿っている。

滝畑から蔵王峠までは府・県道とはいえ車1台がようやく通れる林道なみの道




明治36年大阪府誌から

「一等補助里道 瀧畑街道
起点地名 南河内郡市新野村大字市假定縣道東高野街道
経過地点 南河内郡市新野村、長野村、高向村
終点地名 南河内郡高向村大字瀧畑管轄界」







(Yahoo ルートラボ)


起点 東高野街道との分岐



東高野街道は左へ石川の河岸段丘を下り河内長野市内へ
滝畑街道は右の段丘上を進む
西高野街道との辻
角に常夜灯がある
原町6の関西スーパー手前の分岐にある地蔵堂

右 ふぢい寺
左 さ加い
西代神社の裏を過ぎると大津街道と斜めに交差

正面に西代観音堂と地蔵
  観音堂と地蔵

右後ろの一番大きな地蔵は道標型
「左ふじい寺道」
 野作

 西代観音堂から野作を通り高向へ
高向(たこう)
おそらく府道ができるまでの旧道であろうと思われる道が田んぼの中にあり、大津街道からの道(大津街道支線)との辻に石の地蔵がある
 高向小学校を過ぎると人家は減り山の風景が広がってくる
 
石川を汐滝橋で渡る
日野不動尊
 日野
天野山へはここから新みので橋を渡る
 
石川に沿い登っていく
   
滝尻でダムへの新道は右へ
滝尻の集落への旧道は直進

滝尻橋を渡り進むとダムの管理区域で立ち入り禁止となる
旧道が行き止まりなので、少し戻り新道へ
ようやく滝畑ダムの本体が見えてくる
滝畑ダム
「滝畑ダムは大和川水系石川の滝畑の地に建設した多目的ダムで、昭和42年度から大阪府により調査が進められ、昭和48年9月に工事に着手し昭和56年度に完成しました。」(大阪府の現地案内板「滝畑ダムの概要」から)

堰堤

下流
水没家屋  79戸
水没田畑 20.4ha
磨崖仏

ダム堰堤から下流すぐ右手の断崖に地蔵菩薩と観音菩薩の磨崖仏がある
(大正末期から6年かけて河内長野在住の夏目庄吉氏が一人で彫り上げた・・・河内長野市HPから)
水没村落の移転先

(市立滝畑民俗資料館)
天神社
ようやくダム湖畔の新道から西の村への旧道に
 右は槇尾山施福寺への道
光滝寺

「飛鳥時代に欽明天皇の願いによって行満上人が開いたといわれています。境内の裏手に光滝と呼ばれる滝があり、この滝にちなんで、寺の名前が付けられました。本尊は、不動明王です。修験道とのつながりが深く、江戸時代には葛城修験二十八宿の第十四宿であり、西国第四番目の札所である槇尾山施福寺の奥院となっていました。
 現在、境内には本堂、庫裏、炭焼不動堂が配置されています。本尊の不動明王立像は、複数の木製の部品を組み立てて造られており、このような造りは寄木造と呼ばれています。
寺の周囲は、国定公園となっており、境内にも、動植物の種類が多く、境内の斜面地にシラカシを主とした常緑樹がしげっており、ヤブツバキ、アラカシ、タラヨウ、ネズミモチ、イヌガヤなどがみられます。湿気が多いため樹幹に着生するシダ類やラン類も多く生えています。
河内長野市教育委員会
平成一五年三月」
本堂と炭焼不動堂




さらに川沿いに上っていく


これでも府道です


たまに車には出会うが歩いている人には誰もいない
高度を徐々に上げていくが急な登りではない




蔵王峠


大阪府(河内長野市)と和歌山県(かつらぎ町)の境(標高560mくらい)
「蔵王峠」の立札の右に旧道らしきものがあり、入口付近は一見整備された道に見える(昔の地図では確かに道がある)
 途中で道幅10センチ程に
 枝につかまりながら滑り落ちないように
 ようやく道らしきものになってきてホッとした途端、柿の木畑のなか
 柿の木畑の尾根を辿りようやく県道に

山ブドウ?


ひたすら下山

この谷筋を下れば妙寺      
  短野(みじかの)( 和歌山県伊都郡かつらぎ町)
 
柿の最盛期  5個100円 思わず買ってしまいました。  




 妙寺へ
小田井水路


大和街道に合流



 
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