立石越街道2  
     
     
立石越街道1 
     
 八尾から立石越で高安山の北を越え信貴畑から平群へ


 明治36年 「大阪府誌 第四編」では、
 
 一等補助里道 立石越街道
 起点地名:中河内郡中高安村大字山畑管轄界
 経過地名:中河内郡中高安村、八尾村
 終点地名:中河内郡八尾村大字東郷假定縣道八尾街道
 里   稱:1.19

より大きな地図で 立石越街道 を表示  




八尾
八尾街道から東へ分かれ生駒・信貴山方向へ

近鉄大阪線の下を越えほぼ直線の道を東へ

河内山本駅の近く
玉串川と山本八幡宮
玉串川は元の大和川
玉串川の山本橋を渡りしばらく進んだ辻にある地蔵 山本辻地蔵
向かって左の地蔵の台座が道標で立石越、信貴山を示しているようだが前にブロックが積まれており不明

恩智川を渡る中高橋
   
 
やがて国道170号線を越える
畑中橋
 
 
 
 
  東高野街道との辻   

高安山方向(立石越えは左の谷筋)
山上の建物は高安山気象レーダー

しばらく行くと街道は中高安小学校に突き当たり左右に分かれる

小学校の門前にある天保11年の道標

立石越は右へ
「右 信貴山 立石」
「左 おうとこへ」

   
 

服部川

  しばらく近鉄信貴線沿いに進む   
服部川八幡宮


 
服部川の集落を進む

この辺りから少し上り勾配が始まる
服部川惣池

来迎寺付近

高安古墳群
 

 
 
    この先、昔あったであろう道はなくなっている 
  少し戻って「立石越ハイキング道」を 登る  
   
 
   途中までは山中にある寺院のため舗装されているが「不動院」から先は山道となる
ハイキングコースは右手へ
  「イノブタに注意」の看板  
  生駒山地の大阪側は急峻な
ため大阪平野の眺めは良い
 左に休憩所あり
  途中にある休憩所
「四阿」(あずまや) がある
 
   休憩所からまもなく

分かれ道があり地蔵型の道標
「右 志ぎ山 たつたみち 為無縁法界 久安寺村」
「左 まつのを山道 享保二十乙卯年四月吉日 市兵衛」 (1735)


ハイキング道標では
(左)「みずのみさん」
(右)「高安山 立石越」
(「みずのみさん」は十三峠越の「水呑地蔵」か?
 
 
 
 
  信貴生駒スカイラインに一旦合流し、またすぐに 右に分かれる


この付近が大阪と奈良の県境で立石越えの峠となる
 
   
 立石越え街道は左へ下って行く
右へいくと高安山頂上からケーブル高安山駅へ
 


立石越街道2へ


 
 
     
 
 
高安山

 
 

 高安山 山頂(487.4m)


高安城跡(八尾市教育委員会案内板から)

「西暦六六七年天智天皇が対馬国金田城、讃岐国屋島城とともに築造された古代の山城、白村江の戦後、百済領に進出した唐の勢力の侵攻に備えたもの。
当時畿内の田の税である籾と塩を倉庫に貯蔵した。城域は高安山から信貴山にかけての山地に広がる。
大阪府側の急ながけは自然の防塁。高安山頂は高安烽跡、奈良県側の緩傾斜地には「高安城を探る会」によって昭和五十三年四月倉庫跡の礎石群が発見されている。 
八尾市教育委員会」
 
 三角点の標石がある
だけで眺望も良くない
 高安山気象レーダー
「この観測所は、1968年(昭和43年)に建設され、名称は大阪管区気象台高安山気象レーダー観測所と呼ばれています。
観測は通常1日8回3時間毎に行われ、南は四国の室戸岬のはるか洋上、西は広島、北は若狭湾北方海上、東は富士山麓と半径約300Kmの範囲にわたって観測されています。
特に、室戸岬にあるレーダーとの連携により、紀伊水道を北上する台風、前線活動による集中豪雨、雷雨などを観測することを目的とし、京阪神地方の自然災害に対する防人としての任務を果たしています。また、当レーダーは生駒縦走歩道からも見渡すことができ、広く中河内地域の人々や登山者に親しまれています。
なお、当観測所は見学できませんのでご了承くだいさい。大阪府」
     
 
     
 

TOPへ