立石越街道1  
     
     
立石越街道2
     

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久安寺

 
久保西入口の地蔵群

一番手前の地蔵が立石越を示す道標になっている

その右の道際の道標は信貴山、米尾山、八尾を示している

「左 立石こえ」 「右 信貴山 米尾山」 「指差し(左)八尾」
米尾山とは「信貴山奥ノ院米尾山多門院」か

南垣内
   
 
石仏(観音菩薩)と手前の自然石の道標(南垣内)
 「右 志き山 左 米尾山」
 
 11面観音
 
途中から旧道は右の林の中へ
しばらく山道(のようなもの)を進むと信貴山からの道に合流

新道と合流
 
 

信貴畑

信貴フラワーロード(広域農道)を越え信貴畑へ
   
 
 
 
信貴山奥之院へ寄り道 
 
信貴山奥之院
米尾山多門院
 
縁起
「奥之院の御本尊毘沙門天王は聖徳太子の御作で、太子守屋大連御追討の御時、毘沙門天王が阪部大臣に化現して先鋒を振われ、御尊像が汗をかかれていたと伝えられております。
 聖徳太子歓喜の余り此處に堂宇を建立して御安置申され、千三百有余年の今日に到る迄「汗かきの毘沙門天王」と申し御霊験きわめてあらたかであります。
  また、当山の淨域に不思議にも地中より焼米が湧出します。
  信心堅固にして仁慈を行ひ毘沙門天王に帰依してこの焼米を頂く者は如何なる病も立所に除き福寿増長にして実の賓米を得られると云ふ誠にありがたい御賓米であります。」
門前にある
 安政二年の道標
 
 
  信貴畑の集落   
  信貴畑由来

古代より毘沙門天をまつり宿ずべき貴ふ山として信貴山寺あり、また、中世には武将松永氏により信貴山に多門城を築き、この地帯一帯を穀倉地帯として開発した事により信貴畑と称したのだろう」(信貴畑自治会案内板から)
 
 
 
通称「タル地蔵」
   樽に乗った地蔵(十一面観音?)



 




 
     
 「信貴畑勧請の地 
 信貴畑集落の入口にあたり、毎年1月5日に勧請縄が掛け替えられている。当初は、道路に掛けられていたと思われるが、現在は南側の石仏の祀られた聖地に掛けられ、北西300mの小道にも小さな勧請縄が掛けられている。これは、村内に伝染病などが入り込まないようにとの願いを込めた伝統行事で、平群には5大字で続けられている。
 この横に小堂があり、室町前半頃の船型如来座像[高さ95cm、幅51cm]と地蔵講により立てられた天文21年(1552)の十三仏[高さ119cm、幅62cm]が並んでいる。如来座像は、地蔵講の主尊として祀られていた可能性がある。」
     
     
     
 
     
  椹原(ふしはら)へ下っていいく   
   途中自然石の道標らしきものがあるが判読できなかった
(不明) 
 

御櫛神社

椹原



熊鷹大明神
 

烏塚古墳


(平群町教育委員会説明板)

近鉄生駒線竜田川駅横の踏切を越えたところで十三街道に合流
 
 
 

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