奈良街道1 奈良街道3
奈良街道5 奈良街道6





竜田越奈良街道
 大阪と奈良を結ぶ高低差の少ない街道で現在の国道25号線ルート。暗越奈良街道は大阪から奈良への最短コースであるが峠越えで楽ではないため、竜田越は広く利用された

 柏原から三郷までは、宝永元年(1704年)大和川の付け替え前は安堂から大和川を渡ってきた東高野街道と交叉し、石川を渡り大和川左岸を国分に進み夏目茶屋(現在吊橋の「川端橋」が架かる付近)の渡しで大和川を渡り右岸を三郷へ向かう「亀の瀬越」ルート。大和川付け替え後は、柏原で大和川を渡り東高野街道と交叉、後は同じルート。また、明治三年に国豊橋(柏原市)が架けられ同7年に明治橋(王寺町〜三郷町)が架かって後には安堂で国豊橋を渡り国分から左岸沿いに王寺まで進み明治橋を渡り三郷へ出る現在の国道25号線に近いルートが奈良街道の主要ルートになったものと思われる。

(以下は明治36年「大阪府誌」から)
 「本道は大阪市南區天王寺に於いて國道二十九號路線より起り東成郡生野村北百済村を過ぎ平野郷町に於いて八尾街道と交叉し、中河内郡龍華村志紀村を経て南河内郡柏原村に入り大和川右岸に於いて東高野街道と交はり、堅下村大字高井田に至りて大和川を渡り南岸國分村にて長尾街道に接続せり。而して尚、大和川左岸に沿い行進すること約三十町にして和泉國界に達し以って奈良縣北葛城郡王寺村に通ぜり。管内にありて延長五里六町三十七間、全線の幅員廣濶にして地勢、概、平坦なり。實に大阪奈良間に於ける最捷至便の要路にして、往時は旅客荷物の往来大いに其の交通を減少せり。」
奈良街道1
浪速区から平野区へ

浪速区〜天王寺区

起点の紀州街道との交差点
大阪市浪速区恵美須西一丁目
国道25号線を東へ向かう
通天閣は51歳
合邦辻閻魔堂西方寺(浪速区下寺3)
聖徳太子の創建と伝えられ浄瑠璃「摂州合邦辻」の舞台
松屋町筋との辻に建つ大きな道標
東面「右二ツ井戸八軒屋天神社、すぐ今宮木津」
北面「右今宮木津なんば、左天王寺平野道明寺」
西面「すぐ天王寺平野藤井寺、左松屋町八軒家天満天神」(明治三十年三月)
一心寺
「宗旨を問わない」と言われているが浄土宗で文治元年(1185年)法然上人の開基
平成19年に17万体の納骨により骨佛13体目が造立されたところ
堀越神社(天王寺区茶臼山町)
聖徳太子が四天王寺建立と同時に創建した「四天王寺七宮」の一つ



四天王寺

推古天皇元年(593)聖徳太子の創建
石の鳥居
扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」とありここが極楽の東門の中心


河堀稲生(コボレイナリ)神社境内にある道標
「すぐ大坂道」
「左ひらの大念仏 ○○ん葛井寺 和州大峯山上道」
「右田なべ住江高野山」
元は近く南を通る街道上に立っていたものではないか

河堀稲生神社(天王寺区大道3)
聖徳太子の「四天王寺七宮」(上之宮・小儀・久保・河堀・土塔・堀越・北)の一つ 788年(延暦7年)和気清麿が摂津・河内両国の境に河を堀り上町台地を開削して大和川の水を大阪湾に導こうとしたが清麻呂の死によって完成を見なかった。
この辺り周辺より一段と低い道筋はその川筋の跡と言われている。
環状線寺田町駅を越える







東住吉区桑津一丁目付近
旧道は駒川に架かる奥村橋で国道25号線に合流
今川に架かる今川橋から
ここから街道は杭全を通り平野に至るまで国道25号線に重なっている





平野
平野は戦国時代に環濠を巡らす自治都市とし栄え、奈良街道は平野十三口の内「泥堂口」から郷内に入り「一ノ口」から八尾、大和へ出て行った




内環状線の手前で国道から右に分かれ平野郷へ
大念寺角の「馬場口」にあった馬場口地蔵
大念寺
融通念仏宗の総本山
「塩伊」前の奈良街道と中高野街道と杭全神社を示す道標

「右 ふじい寺、大峯山上、かうや山」
「すぐ 天王寺、大さか」
「當社 熊野権現、祇園宮」
「右 大坂、寛政十二年」

杭全神社
宮前東交差点角の道標

「すぐ 道明寺、左 志ぎ山」
「右 ふじいでら、大峯山上」
「すぐ 玉つくり、左 天王寺」
(弘化二年)

ここから南へ古市街道が分岐

市ノ口地蔵
市ノ口門の傍らにあったもの
市ノ口地蔵から東へ
平野川の百済橋を渡り国道25号線の道なりに平野川に沿って行く
  まもなく加美西の辻で八尾街道と交差する
阪和貨物線 
(平野区加美鞍作)
大和路線と阪和線を結ぶ「阪和貨物線」は2004年7月から休線に
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