富田林街道1 富田林街道2




富田林街道3
(河南町〜)



河南町へ入り森屋までは千早川沿いに南下していく


 出屋敷付近(河南町寛弘寺)
 右手の丘は寛弘寺古墳公園

 この辺りの丘陵の尾根上には古墳が点在し92基が確認されている 寛弘寺古墳群といい現在4基が古墳公園として保存されている
 寛弘寺の中橋から旧道は新道を横切り神山地区へ
 神山橋から水越峠(金剛山(右)と葛城山(左)間の最も低い地点)を望む
 鴨習太(かもならいた)神社 (河南町神山)

 創建は不明ながら延喜式に河内国石川九社とともに記されている 由緒ある古社
 祭神は、饒速日命と高皇産霊尊
金剛橋と馬場地蔵

南北朝ころの作と言われている

街道はこの橋を渡り森屋へ




森屋(千早赤阪村)
森屋の集落

森屋地蔵尊と自然石の道標
森屋地蔵尊 「右とんだばやし 左たきたに道」
 森屋の菊水橋南詰

 街道はここから左へ
 正面の直進する道は千早街道でここが起点


水分

 国道沿いの旧道
「左 楠公誕生地 西二丁」

建水分神社手前の地蔵尊

向かって左の地蔵には「右 こんかうせん よしの道」とあるが向きから見て元は道の反対側にあったものか

(地蔵尊の前掛けの内側を失礼して見てみましたが冬場のこの時期、ここに限らず、大量のヤモリが冬眠されていましたので写真は載せません)
建水分(タケミクマリ)神社入口

石燈籠の前に「右金剛山」

建水分(タケミクマリ)神社   (神社HP)

「楠木家の氏神で創立古く神皇第十代の崇神天皇の五年天下饑疫の際勅して金剛葛城の山麓に水神を祭られた後醍醐天皇の勅命に依って楠木正成が水越川のほとりの下宮にあった社を移して再建したもので本殿は三殿より成り中殿は春日造で天御中主神を祭り左右両殿は流造で天水分神を祭る 三殿は渡廊下で連り其の造巧緻で建築上の模範である神社建築としては全国の唯一の形式
明治三十三年国宝に、昭和二十五年に重要文化財に指定せられた。」(神社の説明板から)


水分地区のみかん貯蔵所


 ここから水越川の音滝橋を渡ると古市から南下してきた東古市街道が合流



上河内

 峠に向かって登っていく
 上河内付近

 所々残っている旧道を通る



 青崩付近
 青崩の旧道
 国道309号線の水越トンネル手前で旧国道に入る

峠手前のバスのりば
土日のみで4本しかない


奈良県御所市


水越峠

道沿いに登山客の車の列
下りにはいる
正面の山は金剛山

祈りの滝



関谷の集落への旧道

水分神社
 関谷(奈良県御所市)
 右の地道が旧道であったと思われるが水越川(峠を挟んで大阪側も奈良側も同じ「水越川」)の洗堀橋を渡り対岸へ


「こんがう山」を示す自然石の道標

関谷公民館から少し下ったところ

 旧々道?


名柄


名柄の龍正寺
 

龍正寺前の道
葛城古道と言われている道
長柄神社

 葛城川を西寺田橋で渡ると下街道にあたる国道24号線
 終点

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