青洲の里
紀ノ川市西野山473番地


名手市場の本陣跡を過ぎ名手谷川の小島橋を越えたところの辻を大和街道から離れ北へ向かいしばらく行くと「青洲の里」がある
春林軒
「華岡青洲がもともと住んでいた家は現在の春林軒と華岡家墓地との中程にあって大きさは20坪ほどの茅葺の小さなもので、華岡家は何代か前の先祖からそこに住んでいました。青洲もその家で生まれ青洲が家業を継いでからもその家で診療や研究を行っていたのです。

1804年(文化元年)青洲が麻酔を使った乳癌手術に成功し、その名声が広く知られると、全国から患者が押し寄せ、青洲の華岡流外科をぜひ学びたいとたくさんの入門希望者がやってくるようになりました。今のままでは充分な診療や門下生の指導を行えないと考えた青洲は思い切って新しい診療所を建設することを決め、建坪220坪(660平方メートル)というかなり大きな屋敷の新築工事を始めました。それがいつごろかははっきりとわからないのですが、おそらく文化年間(1804年〜1816年)の中頃か末頃であったろうと言われています。青洲はこの木の香しい屋敷を「春林軒」と名付けました。「楽水堂」とも呼んでいたようです。

春林軒は大正時代まで平山にありましたが、大正12年(1923年)に持ち主が変わり主屋は粉河町に移築されました。平成9年(1997年)に、春林軒を再建することになり、主屋は保存状態もよかったので元の平山の地に戻されました。
青洲の里HPから引用)

春林軒主屋
薬調合所、門下生部屋
主屋南側にある長屋で内塾と呼ばれた塾生の部屋、薬を調合するための炉がある薬調合所
手術兼薬調合室(主屋)
炊事場
主屋の奥居間
場面は青洲と母於継の見守る中、妻の加恵による人体実験の場面
(人体実験が行われたのは春林軒ができる前のことでは)

曼陀羅華(朝鮮朝顔)
華岡青洲が独自に開発した麻酔薬「通仙散」の主原料

通仙散は曼陀羅華8、草烏頭2、ビャクシ2、当帰2、センキュウ2、南星炒1で調合
華岡青洲が手術や解剖の際使用した石

春林軒から華岡家墓所へ向かう手前にあり主に動物の解剖に使ったもの
(近所の方の話では、大正時代に華岡家からの依頼でこの石を3円で買ったものとのこと。加恵さんの箪笥は2円で)
華岡家墓所

菖蒲池の横にあり正面向かってやや左の笠石を頂いたものが青洲の墓
天保6年(1835年)旧10月2日76才で没「天聴聖哲直幸居士」

その後ろに寄り添うように立つ妻加恵の墓
文政12年(1829)旧12月8日68才で没「蓮光院法屋妙薫大姉」

加恵の後ろに母於継の墓
寛文11年(1799)旧11月4日64歳で没「蓮浄院智貞信尼」
北から見た春林軒