和歌山~小倉 岩出~打田 粉河~笠田 妙寺~橋本 橋本~五條



大和街道5


橋本から

2006/9/9
橋本駅から出発

旧橋本火力発電所?
(明治43年)
後ろの煙突は銭湯(錦湯)

応其寺

「応其上人略伝
応其上人と橋本」
橋本橋
元浄泉寺塩市の燈籠(古佐田1延命地蔵尊前)
「正徳五年(1715)
「橋本町塩市仲間」と書かれている
当時の塩市として栄えた当時を偲ぶ唯一のもの」(橋本市)
紀陽銀行前の橋本町道路元標
(道路工事のため以前と位置が変ってるのでは?)
糯(もち)の木の大木
「左 かうや き三井寺 わか山」
「右 いせ 山上 よしの なら はせ たへま」




南海高野線の鉄橋 妻で旧道は国道から別れる
妻の社神社と万葉歌碑
「紀の国に
止まず通はむ妻の社
妻寄こしこせね妻といひながら」
(万葉集巻九-一六七九)
隅田町河瀬
西光寺 下兵庫駅の東の踏切を越える
阿弥陀森の阿弥陀堂と白石大明神
6世紀行基上人が単身自費を以ってこの地に布施場を作り阿弥陀仏を祀り貧窮者を救済した(説明板から)
隅田町上兵庫付近 隅田町中下
隅田町垂井
国道24号線につかず離れず
隅田町真土(まつち)
和歌山県(橋本市)と奈良県(五條市)の県境の落合川にある
飛び越え石
紀伊国から大和国へ飛び越えた
街道は真土の集落を過ぎ落合川を渡ると奈良県(大和国)に入る
大和国へ


奈良県五條市


京奈和自動車道
2006年6月17日五條IC~橋本東IC開通したところ
五條市街方面
上野(こうずけ)町
犬飼山転法輪寺

「弘仁六年(815)弘法大師41歳の時高野山草創の砌この地で狩場明神と会い道中安全守護のために明神の使者である白黒二犬を賜り無事に高野山を御開創になりました・・(寺伝)」
※ここの狛犬は白と黒



二 見
生蓮寺(二見7丁目)

「弘法大師が高野山へ向かう途中、立ち寄ったという故事から寄足山と号し、本尊の地蔵菩薩坐像は像高328cmあり、永禄13(1570)年の作。また胎内仏の地蔵菩薩立像は、平安時代後期の作。」(五條市HPから引用)
JR大和二見駅
三塚地蔵尊 二見の大ムク
樹齢約1千年わが国でも有数の巨木
二見神社(雨師神社) 吉野川の河岸段丘上に二見神社がある
二見城跡
ここが城跡であるとの案内は見当たらないが妙住寺の裏手あたりではないか
二見城跡から見た吉野川
紀ノ川は奈良県に入ると吉野川と名が変わる


新町通
旧紀州街道沿いにあり、現在も江戸時代の建物が多く残る

五條市HP

街道へ戻る 新町2兆目付近の町並み
札場の辻付近 赤根屋半七宅跡
赤根屋は新町通りに面した間口七間の屋敷で染物屋を営んでいた。悲劇のすえ大坂難波千日前の墓地で遊女三勝と心中して果てた赤根屋半七が住んでいた宅跡
手前は薬局
先の橋は西川に架かる鉄屋橋
宝満寺
鉄屋橋東詰の餅商一ツ橋
国道168号線へ


旧五條代官所長屋門(現五条市立民族資料館)
代官所は元は現在の市役所のある場所に建っていたが文久3年(1863)天誅組の焼打ちにあい元治元年(1864)現奈良地方裁判所五條支部のところに幕府が新たに代官所を立て直した。

裁判所の改築の際に正門である長屋門と広場を五條市が譲り受け史跡公園と民族資料館として整備した。
天誅組
文久3年(1863)8月17日,天誅組志士30人は一斉に挙兵し,五條代官所を襲い代官鈴木源内を殺害,櫻井寺を本陣として,五條新政府を号し,倒幕の旗を揚げました。ところが翌18日,朝議は一変して攘夷派が敗れ,大和行幸は中止。ここで天誅組の義挙はその大義名分を失ってしまいました。 その後,天誅組は十津川郷士960人の来援を得て,高取城に侵攻しましたが撃退され,大日川,広橋,栃原,下市口と吉野各地で転戦するも追討軍は1万人を超え,内部の対立,十津川郷士の離反もあり,翌9月24日,東吉野村鷲家口に於いて決死的斬り込みを敢行して終わりを遂げました。 天誅組の義挙は幕末における下級武士と豪農豪商とが一体となった最初の武装反乱で,倒幕及び明治維新の魁としてたたえられる歴史的なものであります。明治維新が実現するのは,このわずか5年後のことでした。(五條市観光協会HPから)
天誅組140年ホームページ
櫻井寺 天誅組本陣跡


本陣交差点に立つ道標
「右 いせ はせ なら 大峯山上 よしの道」 
「左 かうや わか山 四国 くまの道」

五條駅近くの旅館
今井付近
街道は直線に延びている
栄山寺
五條市小島町、街道から分かれ東へ約1キロ吉野川を遡ったところにある。養老3年(719)藤原南家初代武智磨呂公の開創
梵鐘(国宝)
「四面に菅原道真の撰、小野道風の書と伝えられる陽鋳の銘文がある
三面に延喜17年11月3日と鋳成の銘文がある
京都神護寺、宇治平等院の鐘とともに平安三絶の鐘とされている」

石塔婆(重要文化財)
「七重石塔婆、奈良時代の建立で我国のもっとも古い石造塔の一つである」
本堂
薬師如来坐像(重要文化財)を安置

石燈籠(重要文化財)弘安七年(1284)
八角円堂(国宝)
藤原南家仲麿呂が父母追善供養のために建立(天平宝字年間)
栄山寺入口 吉野川栄山寺橋
史跡宇智川磨崖碑
国道24号線から旧道を進む
宇野町
三在
右は伊勢街道
左は奈良へ

三在の三叉路近くにある道標
「左たゑま寺」「右いせよしの」

伊勢街道へ
住川町
右は重阪越え
左は御所へ
関西では唯一のスイッチバック構造の駅
蒸気機関車時代にはこの勾配(1/50)では必要な施設であったが、電化された現在では必要性は薄れている

北宇智駅
(写真左)北宇智駅の南側の線路は行き止まりで最も左側の線路が五條へ向かう本線

(写真右)最も左側の線路が御所へ向かう本線、右がスイッチバック用線路