余野街道2


余野街道 1


余野街道

「豊能郡細川村大字木部に於いて能勢街道より右派し、東行北折して久安寺川の渓流に沿ひ同郡止々呂見村の山間を屈曲し東能勢村に入り、大字余野に於いて亀岡街道に聯絡せり。延長三里十七町二十五間、幅員は山澗に入り、頗狭隘にして僅々八尺に充たざる所ありといへども、薪炭の輸出盛にして又時々妙見山参詣の客を見る。」(明治36年 「大阪府誌」から引用)


大正9年、道路法の施行により池田亀岡線として府道(現在は国道243号線)とされたもので、池田から亀岡までを通して「摂丹街道」と呼ばれている。

ここでは池田市木部から豊能町余野までを「余野街道」とし、余野から亀岡までは「亀岡街道」で扱うこととしています


ほぼ山間部で旧道は快適ながら国道は歩道がない部分が多くまた大型車の交通量も結構あり危険を感じつつ歩きました。いつもながらの街道歩きの定めですけどね



池田の町を抜け能勢街道は猪名川に沿って遡っていき、絹延橋を過ぎると間もなく木部で国道173号線と423号線の分かれ道に至る。
能勢街道は国道173号線に沿って左へ。423号線が余野街道でここが起点となる。


池田市新町

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絹延橋の手前、阪神高速の高架道路が猪名川左岸に渡ってくる手前の地蔵堂の前に二本の道標がある。
昔はここが分岐点であったようだ
確かに右へ行くと山沿いに道がある

左の道標「右 久安寺亀山愛宕山 左 妙見山多田御社」(天保10年)
右の道標「右大聖天道 久安寺宝積院 是ヨリ二十五丁」
「久安寺より妙見道池のせつたい所まで十三丁」
(池の接待所とは古江で能勢街道に分かれる妙見道の伏尾ゴルフ場内にある長尾池のことと言われている)




木部地区(池田市)


木部で能勢街道から分岐
余野街道の起点
木部の集落に入っていく 紀部神社


木部地区には余野街道の案内板が所々にあり、
分かりやすく案内してくれている
(どこが設置したものかは書いていない)


細川小学校のところで一旦国道へ出るが、またすぐに右の旧道へ入ると中川原地区





中川原





「南無阿弥陀仏
右久安寺かめやま道 左ハのせ道」

中川原地区の中ほど、街道が大きく右へ曲がっていく角にある道標

その昔(江戸期以前)はここから妙見道が分かれていた

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東山地区



東山の地蔵堂にある「余野街道」案内板


国道に合流する直前の「岸の辻」の西北角に地蔵堂と二基の道標がある
道標(小)
「寛文十?年、右ハさい・・・、左ハ久安寺かめ山みち、二月吉日」


道標(大)
「右東山 直亀岡道 左細川神社毘沙門 吉田陽松庵」、「明治三拾四年九月再建」


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伏尾



余野川に沿い国道を歩く

前方は吉田橋、新吉田橋
対岸の不死王閣へ渡る信号のところから旧道は右へ
左へ行けば千代橋を渡り久安寺、直進は八千代橋を渡る余野街道 久安寺への分岐の庚申さんと地蔵と犬


(余野街道案内板)



千代橋を渡って久安寺へ 久安寺楼門
久安寺(高野山真言宗)

 「神亀2(725)年行基菩薩の開創、天長年間弘法大師の再興と伝え、「安養院」が前身。久安1(1145)年賢実上人、近衛帝の祈願所として楼門、金堂、塔等伽藍49院の坊舎を再興し久安寺と称す。豊臣秀吉参拝し、三光神を祀り月見茶会を親しんだと伝え太閤像を三光社にて合祀。江戸中期歌人平間長雅在住し、観音信仰の布教盛ん。元禄の中興で諸堂、坊舎整う。」(久安寺案内書から)

楼門は国の重要文化財


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再び街道へ戻り八千代橋を渡る
八千代橋を渡った左手にある道標

「寛文十戊戌年 
 右かめ山道
 南無阿弥陀佛 
 左久安寺道
 十一月吉祥日」

寛文十年は1670年



明治になって余野川沿いの道が開かれるまで下止々呂美まで山越えの道があったが、使われなくなり現在は途中で行き止まりになっている(らしいがハイキングコースとしては「またたび谷コース」と書かれているものもあるのでいずれ辿ってみよう)

下止々呂美まで国道を進むが路肩が狭く危険


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